現在、日本選手権7連覇中のボディビルダー、鈴木雅選手。2004年にコンテストデビューすると、翌年には東京選手権を制し、その勢いのまま日本選手権にも出場していきなり決勝進出を果たした。
デビューからわずか7年で日本王者になると、その5年後には遂に世界一の称号を手に入れた。その栄光は、数々の試行錯誤と緻密な取り組みの賜物。その1つが、日本一になるまでの5ヵ年計画だ。
画像: ハードトレーニングを重ねる鈴木選手。いまだに伸びしろはあると感じているという ©Michi ISHIJIMA

ハードトレーニングを重ねる鈴木選手。いまだに伸びしろはあると感じているという ©Michi ISHIJIMA

サイズ不足を痛感し
筋肥大を最優先

鈴木選手が初めて日本選手権に出場したときに痛感したのが、サイズ不足だった。
ベースとなる筋量がなければ、どれだけ厳しく絞ったとしても、勝てないと悟った鈴木選手は、その年のシーズン終了後にあることを心に決めた。

「5年間かけて体を大きくし、日本選手権で優勝する」

日本一に向けた5ヵ年計画の1年目(06年)は、がむしゃらにサイズアップを図った。
「日本選手権で優勝できるくらいのデカさになるまでは絞らない」と、05年には73㎏だった仕上がり体重をはるかに上回る81㎏で出場。
「別人のように甘かった」と鈴木選手は苦笑するが、12位だった順位は1つ上がった。
そしてその後も、07年8位、08年7位と計画は着々と進んだ。

「実戦を積み重ねるなかで、明らかに減量ペースがつかめてきたように思います。私の場合は、筋量を落とさずに減量することが命題だったので、体重が落ちなくなったときには摂取カロリーを減らすのではなく逆に増やして、その分消費カロリー(運動量)を増やしました。食べて燃やすことを心がけたのです。あるいはいったん下げて、また戻すこともした。そうしたトライ&エラーの繰り返しによって、より効率的に減量するための手段がわかるようになったのです」

初めてのファーストコールと
有言実行の最終年

日本チャンピオンになる前の鈴木選手。5ヵ年計画真っただ中でサイズアップに取り組んでいたが、この頃から”絞り”のコツもつかんできた ©BBM

計画4年目の09年は絞りがうまくいき、初めてファーストコール(※決勝において比較審査を行う際に、司会進行役に最初に呼ばれること。ここで呼ばれた選手が優勝争いを繰り広げることになる)で呼ばれた。

それまではファーストコールどころか、セカンドコールやサードコールでもなかなか呼んでもらえず、悔しい思いをしていただけに、喜びもひとしお。
最終順位も4位と、表彰台まであと1歩のところに迫った。

そして5ヵ年計画の最終年にあたる10年、鈴木選手は初優勝を飾り、ミスター日本の座を手に入れた。計画通りなのだが、本人曰く「想定外」だったのだという。

「確かに優勝しようと心に誓って5ヵ年計画を立てて臨んでいるわけですが、厳密にはそのくらい一生懸命やろうということであって、まさか本当に優勝できるとは思っていなかったんです。今振り返ってみると、勝因は減量がうまくいったことかな、と」

目標を立てることは簡単だが、それを計画通りに実行するにはそれ相応の努力が必要。
予定通りに目標を達成するとなれば、なおさらだ。
それを実現させるだけの努力と継続を怠らなかった者だけが、頂点に立てるということなのだろう。

※本コラムは、MOOK『鈴木雅PERFECT BOOK』の一部を再構成したものです。

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