画像: 【1950年6月28日】巨人・藤本英雄が日本初の完全試合達成

【1950年6月28日】巨人・藤本英雄が日本初の完全試合達成

完全試合達成の後日行われた表彰式で
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は6月28日だ。
2リーグに分立した1950年6月28日、青森での巨人─西日本パイレーツ戦で、史上初の大記録が生まれた。西日本は福岡を本拠地に同年誕生したが、1年限りで西鉄ライオンズと合併し、姿を消した球団である。
この日の試合は東北・北海道シリーズの5戦目だったが、巨人の先発予定・多田文久三が遠征中に下痢となり、急きょスライダー使いの元祖と言われる藤本英雄にお鉢が回ってきた。ただ、登板がないと思っていた藤本は、前夜の青函連絡船で、明け方まで麻雀。体調は最悪に近かったという。
それでも味方の好守、さらに言えば、西日本打線が貧弱だったこともあって、走者を出すことなく回が進む。藤本も徐々に調子を上げ、「7回あたりから記録を作れそうな気がした」と振り返る。結局、最後、兼任監督の小島利男が自ら代打出場も三振でゲームセット。日本プロ野球初の完全試合が達成された。
ただ、多くの新聞社の記者、カメラマンは北海道の試合の後、帰京。この大記録を見守った記者は4人で、カメラマンは誰もいなかったという。
藤本は通算200勝の名投手で、2000投球回以上では史上最高の防御率1.90を残す。この大記録1号に、ふさわしい選手だったと言えるだろう。
写真=BBM

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