画像: 【1999年6月30日】“異色の助っ人”横浜・ローズが史上初3度目のサイクルヒット

【1999年6月30日】“異色の助っ人”横浜・ローズが史上初3度目のサイクルヒット

2000年限りで横浜を退団したローズは03年にロッテと契約も開幕前に退団した
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は6月30日だ。
1998年に優勝&日本一を飾った横浜ベイスターズ(現DeNA)、その原動力が抑えの大魔神・佐々木主浩とマシンガン打線だった。
ただ、マシンガン打線が一番盛大に炸裂したのは、翌99年。その中核にいたのが、ロバート・ローズである。よく「日本文化への適応が外国人成功のカギ」と言われるが、この男は例外だ。8年間も在籍しながら日本語をいっさい覚えようとしなかったという。まさに異彩の助っ人である。
この年、開幕から打ちまくっていたローズが6月8日、「今シーズン限りで引退し、家族とゆっくり過ごしたい」と突然の引退宣言をした。これまで引退をちらつかせ、年俸の引き上げを迫る外国人選手はいたが、ローズは本気だった。93年の来日以来、成績が出ないとまるで犯罪者のように批判され、追われるように去っていく外国人選手を何人も見た。その中で「いい時期に自分の判断でやめたい」と思うようになったのだ。
引退宣言後、ローズのバットはすごみを増す。そして6月30日、広島戦(富山)で史上初3度目のサイクルヒット達成。試合も1イニング12得点の猛攻もあって横浜が20対4で大勝している。
しかし、大魔神の不振もあってチームは最終的に3位。優勝が絶望となったときにローズは「僕のゴールは優勝にしたい」と引退を撤回した。この年、首位打者&打点王を獲得。192安打は当時のセ記録、打率.369は、これも当時だが右打者の歴代最高記録だった。ホームランも前年の19本からほぼ倍増の37本。ウエート・トレーニングに加え、メジャーの流行でもあったが、極端に軽いバットを使うようになったことも成績向上の要因だった。
さらにチームもすごい。チーム打率.292は当時の史上最高。投手を除くと.303、ホームの横浜では.311だった。逆にいえば、これでも優勝できないのだから、野球において、それだけ投手力が重要とも言えるだろう。
写真=BBM

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