画像: 江本孟紀の阪神への「上から目線」

江本孟紀の阪神への「上から目線」

南海から76年、阪神へ移籍して6年間プレーした江本
エモやんこと江本孟紀さんといえば、「ベンチがアホやから野球ができへん」発言があまりにも有名だ。
1981年8月26日、阪神対巨人戦(甲子園)。3点リードで迎えた8回表、阪神先発の江本は二死二、三塁のピンチを迎えた。マウンドに野手陣が集まった。降板か勝負か、敬遠か。ところが、ベンチの指示がないまま続投。水谷新太郎のヒットで同点に追いつかれ、白星がフイになった。采配批判を口にしたのは後続を抑えてマウンドを降りた後だった。
監督の采配への批判がタブーであることは、サラリーマン社会に置き換えてみるとよく分かる。だが、江本さんはこの年すでに気持ちが切れたままシーズンに臨んでいた。
前年の80年、目標にしていた10年連続2ケタ勝利が途切れ(8勝)、さらにブレイザー監督の途中退団がモチベーションの低下に拍車をかけたという。「みんな注目していないかもれませんが、ブレイザーの退任は実は大事件なんです」と江本さんは語気を強めた。
ブレイザー監督が、南海ホークスで、名将・野村克也監督の野球観に大きな影響を与えたことは周知の事実だ。江本さんも南海時代、コーチだったブレイザーに触れている。そのブレイザーが79年、阪神の指揮に就任。前年、阪神は球団史上初の最下位に沈んでいた。危機感を覚えた球団はついに、外様監督に白羽の矢を立てるという一大改革に舵を切った。
これでタイガースが変わる! 江本さんの期待とは裏腹に、80年、ドラフト1位ルーキーの岡田彰布の起用を巡って、ブレイザー監督は辞任に追い込まれた。地元出身のスターだけに、ファン、マスコミに球団フロントまでが「岡田を使え」の大コール。岡田の将来を考え慎重な起用法を崩さなかったブレイザー監督は一人悪者にされた挙げ句、シーズン途中で球団を去ってしまう。「85年はたまたま優勝しましたけど、その後の阪神が優勝できなかった原因はそこです」と江本さんは言う。
江本さんの話から強烈に伝わってくるのは、名門・南海ホークス、そしてパ・リーグの一員としての誇りだ。野村監督をして「3悪人の一人」と言わしめ、必ずしも優等生ではなかった。だが、なんだかんだと言いながら江本さんほど野村監督への愛にあふれた人もいない。73年のプレーオフでは、優勝のかかった土壇場で緊急登板、胴上げ投手として野村兼任監督と歓喜の抱擁。その江本さんが、口には出さなくても移籍先の阪神を「上から目線」で見ていたとしても不思議ではない。実際に、本人も「阪神なんか下に見ていました」と述懐している。
舌禍事件の責任を取って、江本さんは翌日には引退を表明。周囲があっ気にとられるほどの引き際だった。「ベンチがアホやから野球ができへん」。この発言は、事実上の古巣と言ってもいい(入団時は東映も1年でトレード)南海の誇りが言わせたのではないだろうか。江本さんのインタビューは現在発売中の『ベースボールマガジン8月号』「衝撃の球界事件簿」にて掲載。興味深い内容になったので、ぜひお読みください。
文=佐藤正行(ベースボールマガジン編集長) 写真=BBM

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