画像: 【1957年7月7日】七夕には連敗にまつわる悲劇と歓喜があった

【1957年7月7日】七夕には連敗にまつわる悲劇と歓喜があった

ついに連敗をストップさせた権藤を仲間たちが胴上げする
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は7月7日だ。
織姫と彦星が年に1度だけ会うことができるという7月7日の「七夕」。短冊に願いごとを書き、笹の木に結わえる風習もある。
プロ野球の歴史の中でも、この日、ちょっと特別なことが2つ起こった。しかも、いずれも長い、長い連敗記録と関係している。
1つは、おそらく多くの人が知っている千葉ロッテの「七夕の悲劇」。1997年、日本最長記録17連敗を喫した日だ。このとき記録は18まで伸びたが、リードしながら9回二死から黒木知宏が同点弾を浴び、マウンドにうずくまり、交代。延長12回裏満塁弾を浴びてのサヨナラ負けと、劇的な展開となったことで大きなインパクトがあった。
今回は、その40年前、1957年の七夕を取り上げよう。このときは逆に「七夕の歓喜」と言っていいだろう。大洋の権藤正利が巨人戦ダブルヘッダー第1試合(後楽園)で完封勝利を挙げ、プロ野球ワースト記録となっていた連敗をついに28で止めた日だ。
権藤は53年洋松(のち大洋)入団。同年は15勝12敗で新人王にも輝いた左腕だ。当時のチームは超が何個もつく貧打線で、なかなか勝ち越す投手がおらず、2年目は11勝20敗。そして泥沼突入は3年目の55年だ。開幕からの連敗は11で止めたが、7月9日から8連敗でフィニッシュし、3勝21敗。そして翌56年はなんと0勝13敗で21連敗。さらに年が変わり、57年になってもやっぱり勝てず、7連敗。権藤自身、「もう二度と勝てないのではないか」と思っていたというが、ある意味、それでも権藤を使い続けなければならないほど、投手が不足していたとも言える。
7月7日、勝利の瞬間は権藤だけでなく、周囲も大興奮。自然発生的に胴上げをされる騒ぎとなった。この年、権藤は最終的に12勝17敗、防御率は2.74だった。
写真=BBM

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