画像: 【1973年7月11日】野村克也兼任監督で南海、初の二期制の前期V

【1973年7月11日】野村克也兼任監督で南海、初の二期制の前期V

優勝決定後の会見。右から野村監督、川勝オーナー、新山代表
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は7月11日だ。
1973年、人気低迷に苦しむパ・リーグは「1シーズンに2度の優勝争いがある」前後期制を導入。その前期の下馬評は西本幸雄監督の下、黄金期を築きつつあった阪急、現役時代に400勝を挙げた大投手・金田正一新監督の下、注目が高まっていたロッテが優勝候補に挙げられていた。
しかし、抜け出したのが、野村克也兼任監督のいた南海だ。のちに「ほかは短期決戦とトーナメントのような戦いをしたが、ウチはいつもの野球をした。それがよかったんや」と野村監督が振り返ったVだ。
最後はロッテと競り、ロッテにも7月10日からの日拓3連戦(神宮)に3連勝なら大逆転優勝の芽があった。しかし初戦は5対4で制したものの、5万3000人の大観衆が集まった翌11日の試合は8対9で敗れ、南海優勝が決まった。
すでに前期の全日程を終えていた南海ナインは、大阪球場内の事務所でラジオ中継を聴いていたが、この結果を知り、まず野村監督が「バンザーイ」と大声。そのまま記者会見となった。会見後には、球場食堂で背広のままのビール掛け。ガラス窓からは、優勝を知って駆け付けた大勢のファンがのぞき込み、やんやの歓声を送った。
なお、優勝争いが2度ある前後期制は、消化試合が2度あるという弊害を生み、やがてなくなった。
写真=BBM

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