画像: 【1942年7月18日】20勝&40本塁打の“二刀流”中日・西沢道夫の快挙

【1942年7月18日】20勝&40本塁打の“二刀流”中日・西沢道夫の快挙

背番号15は中日の永久欠番となっているが、このときの背番号は17
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は7月18日だ。
公式戦で復帰登板も飾り、二刀流本格解禁となった日本ハムの大谷翔平。過去、特に1リーグ制の時代には多くの二刀流選手がいたが、2016年に大谷が挙げた投手として10勝4敗、打者として打率.322、22本塁打は比類なき成績である。
ただ、真の二刀流とは言えないが、投手として、野手として、時期を違えてスーパースターとなった男が2人いる。1人は阪神の景浦将、もう1人は中日ほかの西沢道夫だ。
1942年7月18日は、このうちの1人、西沢が阪急戦(後楽園)で投手としてノーヒットノーランを達成した日である。
西沢は15歳で中日の練習生となり、16歳で公式戦初登板。180センチの長身から投げ込む角度ある速球を武器に40年には20勝を挙げている。ただ、投げ過ぎもあってか、この42年の春先に右ヒジを痛め、打たせて取るピッチングに変えての快挙だった。
この後、右ヒジ痛が悪化。戦後、ゴールドスター(金星)で打者に転向し、49年中日復帰後、完全開花。中軸打者として54年の日本一にも貢献した。58年限りで現役引退となったが、打者としての自己最高の成績は本塁打46、打点135(50年)、打率は.353(52年首位打者)。シーズン20勝、40本塁打以上を記録した選手は、もちろん史上唯一である。
写真=BBM

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