画像: 運命の洲崎決戦第1章、阪神・景浦将の豪快3ラン

運命の洲崎決戦第1章、阪神・景浦将の豪快3ラン

沢村の前に立ちはだかった阪神の猛者・景浦将
1936年の年度優勝決定戦、つまり日本プロ野球初代王者を決める戦いは、12月9日から当時の呼称で言えば「東京市城東区南砂町4丁目」の洲崎球場で行われた。海近くの埋立地につくられ、満潮時にはグラウンドが浸水し、選手が船で避難することもあった球場だ。9日の初戦、気温は2度、海からの冷たい風も吹き込んだ。それでもプロ野球初の優勝決定戦とあって、多くの観衆が球場の客席を埋め尽くした。
彼らの注目は、かつて全日本のエースとして大リーガーと渡り合った巨人のエース、沢村栄治と、阪神のエース兼主砲で、立大時代から人気選手だった景浦将の対決だった。巨人・藤本定義監督は試合に挑む心境を著書『風雪30年の夢』で次のように書いている。
「試合に挑む心境は悲壮であった。それはプロ野球の興亡と、巨人軍の名誉を賭けていたからであった。まして戦前の予想は、エースであり打線の中心であった景浦将を中心としたタイガース有利とみられていたから、なおさら悲壮だった」
まだ海のものとも山のものとも分からぬ日本の「職業野球」。藤本はそれを定着させ、かつ巨人が盟主として君臨するための乾坤一擲(けんこんいってき)の舞台と大いに燃え、かつすさまじい重圧に震えていた。
第1戦、先発は予想どおり沢村と景浦だった。景浦の重い速球を打ちあぐねていた巨人打線だが、3回裏、沢村の内野安打を口火にチャンスを広げ、2ランスクイズで先制。さらに四番・中島治康のスクイズで3点目、その後にもエラーが絡んで4点を奪った。ぬかるんだグラウンドを利した藤本監督の作戦どおりと言えるだろう。
タイガースも黙っていない。続く4回表、沢村を攻め、二、三塁としたところで打席に入ったのが四番・景浦だ。3ボール1ストライクとなった後、沢村がドロップを投じると景浦のバットが一閃。打球はどんどん伸びて3ラン。満員の大観衆だけではない。巨人ベンチの度肝を抜く一発だった。
それでも沢村はここから立ち直り、以後は無失点。対して巨人は景浦から7回裏にも1点を奪い、5対3で、まず1勝を挙げた。
翌日の第2戦、巨人は沢村が連投、阪神は高い制球力を誇る御園生崇男が先発した(景浦は五番・サード)。この日はタイガース打線が巨人内野陣のエラーもあって2回裏に3点先制。巨人は3回から1点ずつを加点し、5回には3対3と追いついたが、沢村が6回にまたも味方のエラーもあって2失点。3対5とされた。巨人は9回表に必死の反撃を見せたが、最後は法大出身で、のち“七色の魔球”を操る男と言われた若林忠志が打者2人をピシャリ。これで勝敗は1勝1敗となった。
当事者である巨人、タイガースの選手、関係者にしたら胃が痛くなるような展開だろうが、関東の野球ファンは、大学野球とはまた違った魅力を放つ、この対決に大熱狂。雌雄を決する第3戦に向け、さらに注目が集まった。(続く)
写真=BBM

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