画像: 【石田雄太の閃球眼】侍ジャパンのぬるさ

【石田雄太の閃球眼】侍ジャパンのぬるさ

4回目のWBCで初めて1、2次ラウンド全勝で決勝ラウンドに進出しながら、準決勝で敗れた侍ジャパン
7月上旬、1週間限定で劇場公開されたWBCの映画「あの日、侍がいたグラウンド」を、横浜の映画館で観た。1日に1回の上映とあってチケットは完売。侍ジャパンのユニフォームはもちろん、ベイスターズやカープ、ジャイアンツなどのユニフォームを身にまとって映画を観に来ていた客がたくさんいたのには驚かされた。野球を扱ったドキュメンタリーなのだから中高年の男性客が多いのかと思っていたのだが、むしろ若い女性客が相当数を占めている。
今回、この映画を観るためにはまず、このWBCの映画が期間限定で公開されるという情報をキャッチしなければならない。さらに言えば、ネットで事前にチケットを確保しなければならなかったようだし、人気の映画館では受け付け開始日の午前0時からネット上でチケット争奪戦に参加しなければならなかったと聞く。そういう理由もあって、若い客が目立っていたのかもしれない。
映画の内容については、報道陣が入れなかったエリアに唯一、入ることを許されたカメラで捉えた映像がふんだんに使われていたこともあって、知らない事実がいくつもあり、興味深く見入った。ベンチ裏のミラールームで交わされていた選手たちの会話、試合前のミーティングで小久保裕紀監督が発した言葉、練習中のグラウンドで選手たちが悩みをぶつけあっていたシーンなど、やはりナマの音が持つ力には迫力がある。他にも、テレビでスポーツドキュメンタリーを手掛けてきた作家のハシクレとしては恐れ入ったところ、物足りなかったところはそれぞれに多々あったのだが、ここではそういうことよりも、改めて痛感させられた日本代表の在り方について感じたことを1つ、挙げてみたいと思う。
今回、小久保監督は“常設チームとなった侍ジャパン”の初の監督として、という言葉をたびたび発していた。代表チームではあるが、ある程度、長い時間をかけてチームを熟成させる――プロが日本代表に参加するようになってからはなかなかできなかったことを小久保監督が目指したのは、小久保監督自身の日の丸にまつわる原体験が理由になっているのではないかと感じていた。その話は以前にもここで綴ったことがあるのだが、バルセロナ五輪の大会直前、ヒジを痛めたピッチャーをメンバーから外すという話が持ち上がったとき、選手たちが当時の山中正竹監督にそのピッチャーの残留を直訴する、ということがあった。そんな出来事を、社会人ばかりのチームの中で唯一の大学生として見つめていたのが、当時の小久保監督だった。寄せ集めではなく、長い時間をかけて作り上げてきたチームだからこそ結束力や重みが生まれる。そういう価値観のもと、常設によって時間を与えられた小久保監督が目指したのが、この侍ジャパンだった。
WBCを戦った映画の中の日本代表の選手たちは、微笑ましくなるくらい、仲が良かった。そうした選手の素顔に感動した観客も多かったに違いない。映画の中の侍ジャパンは間違いなく“いいチーム”だった。しかし敢えて厳しく言うならば、いいチームと強いチームは似て非なるものだと、この映画が示しているような気がしてならなかった。短期決戦の国際舞台における野球の強さというものが個の力から導き出されるのか、まとまりから生み出されるものなのかについては、明確な答えはない。ただ、画面から伝わってくる選手たちを包む空気に、正直、ぬるさを感じさせられたことは否めない。それは、ここではネタバレになるので詳しく書けないが、映画を観た人なら分かる、アメリカでのあるシーンに象徴されていた。
和をもって日本代表を率いた小久保監督は、まとまりというエンジンを武器に東京ラウンドを6戦全勝で突破した。しかしアメリカに戦いの舞台を移して早々、またも鬼門の準決勝で敗れた。まとまりだけでは、個の力を上回ることはできなかったのだ。この苦い経験を、小久保監督は次回に引き継ぐ責任がある。まとまりを求めた結果、それがぬるさとか甘さのようなものを生んだという実感はなかったか。勝つために、どんなチームを、どんな方法で作り上げればいいのか。その選択肢はいくつあるのか。そうした議論を一刻も始めるべきで、こういう記録映画はそのきっかけであるべきだと思う。
文=石田雄太 写真=小山真司

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