画像: 【1953年7月23日】阪神初主催のナイトゲームで起こった第一次難波事件

【1953年7月23日】阪神初主催のナイトゲームで起こった第一次難波事件

これだけ乱入しても外野席は満員状態。かなりお客さんを詰め込んでいたのが分かる
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は7月23日だ。
かつて甲子園にナイター照明がなかった時代の事件を紹介しよう。
1953年7月23日、大阪球場(通称・難波球場)で“第一次難波事件”が起こる(当然、第二次もあるが、それはいずれまた)。この日は、阪神が補助球場として認められていた南海の本拠地・大阪球場で行った球団史上初の主催ナイトゲームでもあった。両軍が首位争いを展開していたこともあって、球場は開設後、初めての超満員、3万5000人の観衆で異様な雰囲気となっていた。
その巨人が5対2で迎えた9回裏、阪神最後の攻撃。その一死二塁のシーンだ。球場全体に、もやが立ち込める中、阪神・金田正泰の外野フェンス際へのライナーが照明の暗い部分へ飛んだ。打球は外野フェンスに一度当たってから巨人の中堅・与那嶺要のグラブに入ったかのようにも見えたが、右翼線審はアウトのコール。すでにホームまでかえっていた阪神の二走・田宮謙次郎が二塁封殺で併殺。試合終了となった。
すぐさま飛び出したのが、阪神監督・松木謙治郎だ。審判に猛抗議の間、グラウンドに興奮した阪神ファンが次々飛び降り、警官隊とにらみ合いになった。
伏線があった。5回裏、阪神・金田の守備妨害の判定でひともめ、このときまず客席から空き缶が投げ込まれた。7回表には巨人・千葉茂が死球に怒り、阪神の投手・藤村隆雄にバットを投げつけ、ふたたびもみあい、客席から物が投げ込まれる騒ぎとなった。
なお、なぜ警官隊が......と思う方もいるかもしれないが、当時は乱入事件が頻繁にあり、万が一のために球場の待機していることも多かったという。
写真=BBM

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