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【カープアカデミー物語03】チェコより期待されたリベラ

1990年、広島が選手育成のためにドミニカ共和国に開校したカープアカデミー。後にメジャーで活躍したソリアーノら多くの選手を輩出した。今年、育成から支配下に昇格したバティスタ、メヒアも同アカデミーの出身で、再び注目を集めている。連載「カープアカデミー物語」で、その歴史をたどる。
しばらく続いた苦難の道
1994年にはカープアカデミー出身として初の一軍登板も果たしたリベラ
1992年2月24日、のち一軍で大旋風を巻き起こすロビンソン・チェコ投手が支配下選手登録。ただ、すぐさまカープアカデミーの躍進が始まったわけではない。むしろ、しばらくは苦難の道が続く。
チェコの後、3月27日には、ペレス内野手も支配下登録。しかし、5月12日には2人は任意引退となり、代わりに同じくアカデミー出身のサンギルベルト投手、ペルドモ内野手が登録されている。
ペレスは明らかに力不足だったが、チェコは大いに期待され、同年のオープン戦で巨人戦の登板が決まっていたのだが、股関節の痛みで回避。その後、4月からはウエスタンで登板も故障が癒えず、2試合を投げ2イニング2失点と結果を出せなかった。
さらに今度はペルドモが6月に骨折。同じく任意引退となり、やはりアカデミー出身のバウチスター投手と契約も9月に任意引退となっている。これは解雇ということではなく、アカデミーのさまざまな選手の可能性を試すための試行錯誤で、彼らはその後、ドミニカ共和国に戻り、アカデミーに復帰している。
チェコも同年の秋季キャンプで再来日。ここで再評価され、翌93年の春季キャンプにもファームで1勝を挙げていたサンギルベルトとともに参加。「去年、故障でチャンスをふいにしたのは残念だったが、完全に治った。低めに球を集めることができるようになったし、変化球もよくなった」と自信たっぷりに語った。
山本浩二監督も「今後はやってくれるんじゃないか」と評価。3月には再び支配下契約を結んだのだが、この年は右ヒジの故障もあって一軍登板はなく、94年1月、前年12月に広島が提携関係を結んだ台湾・時報イーグルスにペレス内野手、ペーニャ外野手とともに派遣された。
これは投手にチェコ以上の逸材がいたからでもある。93年日南の秋季キャンプにチェコとともに参加した23歳のカルロス・リベラである。ストレートとスライダーを主武器にする右腕で、11月14日の紅白戦で好投を見せ、監督に就任したばかりの三村敏之監督も「ひょっとしたら、一軍でも投げられるかもしれない。ほかのドミニカ選手より自分を前に出すタイプだしな」と笑顔で語った。三村監督の目には、ドミニカの選手たちが、のんびりしているように見えていたのだろう。
この時期、広島とドミニカの関係はさらに密接になっていた。93年9月にアカデミーから選手16人、コーチ3人、通訳1人が来日し、広島の二軍と対戦。シーズン後の12月9日には、逆に近鉄を自由契約となり、テスト入団が決まった加藤哲郎、中山製鉄所からドラフト2位で指名され、12月1日に契約したばかりの上田好剛がドミニカのウィンター・リーグに参加するため、出発していた。さらに94年1月7日には、三村監督もドミニカへ。広島の日本人選手のウィンター・リーグ参加の可能性を考えての視察だった。
<次回へ続く>
写真=BBM

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