画像: 中西2世は源田壮亮か、おかわり君か

中西2世は源田壮亮か、おかわり君か

プロ1年目の中西。確かに細い
「すごく光栄です」
声を弾ませたのは、西武の新人・源田壮亮だ。
8月3日、西武が12連勝を飾った楽天戦(メットライフ)、7回裏無死二、三塁で打席に入り、打球が前進守備のライトの頭を越えると、快足を生かし一気に三塁打に。これがリーグトップの今季7本目の三塁打で、球団新人記録でも1952年入団の中西太に並んだ。
これを知って、オールドファンの中にも「なるほど」と思った人と「えっ!」と驚いた人が両方いるのではないだろうか。
西鉄黄金時代の三塁手で、“怪童”の異名も取った中西氏は、史上最速とも言われる打球スピードを誇り、外野手が前進した低いライナーが伸び、場外弾となることもあったという。やや太めの体格から、中村剛也が頭角を現した際には「中西2世」とも呼ばれ、小社で対談をしてもらったこともある。
大砲、太めの選手となると、どうしても鈍足のイメージがあるが、対談のとき中西氏は「みんな勘違いしとるけど、ワシは若いころ細かったんや。足も速かったんじゃよ。オリックスのコーチ時代、イチローに、ワシもお前と同じくらい足が速かったんだぞ、と言ったら笑っとったけど、ほんまやって」と話していた。
実際、数字もそうだ。中西氏は、高松一高から1952年入団。“怪童”は高校時代に取った異名だ。大争奪戦の末、同じ香川県出身で、のち義父となる三原脩監督が口説き落とし、西鉄入団。1年目からサードのレギュラーとなり、打率.281、12本塁打、65打点、16盗塁、そして7三塁打をマークし、同年の新人王にも輝いている。
この数字なら源田も狙えないことはないかもしれないが、2年目以降、覚醒した中西は“怪童”そのものだった。
翌53年にはいきなりホームラン、打点王の2冠に加え、36盗塁でトリプルスリーも達成。以後、盗塁は徐々に減っていったが、これは三原監督に「ケガをするからやめなさい」と止められたから。「やればできたと思うよ」と笑う。2人には悪いが、いわば「中村剛也+源田壮亮」が全盛期の「中西太」だった。
左手首の腱鞘炎のため全盛期は短かったが、幾度となく三冠王に迫り、巨人のONと並び称される「史上最高のバッター」の1人だ。
写真=BBM

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