画像: プロ野球史上もっとも荒れた完全試合【1957年8月21日】

プロ野球史上もっとも荒れた完全試合【1957年8月21日】

最後の打者、太田文高を三振に仕留め完全試合を達成した
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は8月21日だ。
大記録達成となると、ふつうは厳粛な雰囲気となるものだが、このときはまったく違った。記録達成間近になって、グラウンドにファンが乱入し、45分の中断。おそらく、この強心臓男でなければ、達成は無理だったはずだ。伝説の400勝左腕、金田正一。その完全試合達成ゲームである。
1957年8月21日、中日球場で中日─国鉄(現ヤクルト)のダブルヘッダーが行われた。先発は、中日が杉下茂、国鉄が金田の両エース。当時の国鉄は、創設以来一度もBクラスから抜け出したことがなく、特に打線の非力さは深刻だった。
この日も、その前の2戦を完封負け。国鉄の頼みの綱は、金田の左腕のみと言ってよかった。金田は腹を壊し、数日前から下痢に苦しんでいたが、相手先発が尊敬し、かつ好敵手と意識する大投手・杉下と聞いて「よし、やったるで」と燃えていた。
試合は予想どおり投手戦となり、互いにゼロ行進が続く。特に金田は快速球とカーブがさえ渡り、8回裏を終え、1人の走者も許さない。
均衡を破ったのは国鉄だ。9回表に1点を取り、その裏、金田は大記録達成へあと3人のマウンドに立った。
中日の攻撃は代打・酒井敏明から。金田はカウント1ボール2ストライクと簡単に追い込み、4球目の内角高め速球は、酒井がハーフスイング気味に見送った。ここで稲田茂球審はスイングとして三振を宣告したが、すぐ中日ベンチから天知俊一監督らが飛び出し、猛抗議。そのうち興奮した観客が次々グラウンドに降りる大騒動となった。
ネット裏の記者席に避難した金田は、グラウンドの騒ぎを見て、怒りに震えていた。
「そんなにワシのことが嫌いか。そんなにワシの記録にケチをつけたいんか」
すべてが自分への嫌がらせに思えた。実際、金田は愛知県出身もあって、中日ファンのヤジがいつも激しかった。
45分の中断を経て、ジャッジどおりで試合再開。金田は、「残り2人は文句のない三振に取ったる」と、怒りをすべてボールに込めた。そして全球ストレートで、2者を3球三振で記録達成。
試合後の金田は怒りの表情が消え、上機嫌だったが、「どうせなら、あんなことにならず達成したかったけどね」と、ぼそりと語った。
写真=BBM

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