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【プロ野球人国記 埼玉】飯能と上尾の名球会選手

今夏の甲子園でベスト4に残ったのは花咲徳栄、東海大菅生、天理、広陵だが、この地域出身の高校野球ファンは特に応援に力が入るだろう。ここでは4強に残ったチームの所在地、埼玉、東京、奈良、広島出身者の「プロ野球人国記」をお届けしよう。
サッカー熱も高いが野球人気もある
埼玉出身者で初めて2000安打を達成した松原
東京北部に位置するベッドタウンで、都内に通勤している人も多い埼玉。現在も近郊農業が盛んだが、近年は住宅化が進み、農地が減っている。野球人気は決して低いわけではなく、所沢には埼玉西武ライオンズもあるが、浦和はサッカーの浦和レッズ、大宮は大宮アルディージャの本拠地でもあり、特に浦和のサッカー熱は高い。また、県西部の秩父は山岳地帯となり、自然も豊かだ。県民性は穏やかで、親切な人が多いという。
さて、プロ野球では埼玉出身の名球会選手は2人いる。1人目が飯能高出身の松原誠だ。捕手として大洋入りし、その後、一塁へ。通算2095安打を残した。飯能では聖望学園高から中日ほかの投手・門倉健、阪神の遊撃手・鳥谷敬(東京都身)らも出た。
もう一人の名球会選手が松原の2歳下、ロッテ―西武で活躍した山崎裕之で、上尾高出身の内野手。攻守に優れた職人的選手だった。入団時に大争奪戦となり、それがドラフト制度誕生のきっかけになったことでも知られる。上尾高には1971年にヤクルト入りしたサブマリンの会田照夫、84年に中日入りした仁村徹もいる。なお、仁村の兄、仁村薫は川越商高出身。徹が東洋大、薫が早大を経てのプロ入りで、一時期、ともに中日に所属していた。
投手では200勝には届かなかったが、市川口高から巨人入りし、18年投げ続けたサイドハンドの斎藤雅樹が代表的な存在だ。最多勝5回、最優秀防御率、沢村賞各3回。89、90年は2年連続20勝で89年には日本記録の11連続完投勝利、90年にはMVPにもなっている大投手だ。
夏の甲子園12回出場を誇る浦和学院高が初出場したのは86年。そのとき2年生ながら主軸を担ったのが鈴木健だ。3年間で放った通算83本塁打は当時の記録だった。巨人入りした清水隆行(東京出身)、横浜入りした木塚敦志、石井義人、広島入りした現巨人の大竹寛ら、強豪にふさわしく多くの選手が同校からプロ入りを果たした。鈴木健のホームラン記録を抜いたのが埼玉栄高の大島裕行で、鈴木と同じく西武に入ったが、プロでは通算23本塁打で終わっている。
東京とはボーダーレス状態
西武などで活躍した奈良原は埼玉出身だが、東京の帝京高へ進んだ
さいたま市からは古豪・大宮高からのプロ入りも多いが、70年代以降はめっきり減り、阪神-近鉄-オリックスの北川博敏(兵庫出身)、阪神-西武の平尾博嗣らがOBの大宮東高が増えた。西武の本拠地・所沢の所沢商高は81年大洋入りし、こけしバットで話題となった山崎賢一らの出身校だ。
80年に設立された春日部共栄高からはヤクルト入りした城石憲之、西武入りした土肥義弘、ロッテ入りした小林宏之らが出ている。花咲徳栄高からのプロ入りも増えており、若月健矢(オリックス)が正捕手の座をつかみつつある。新座の立教新座高からは巨人入りした高林恒夫、ヤクルト入りした長嶋一茂らが出ているが、ともに東京出身者である。川越東高からは大学、社会人を経て今年、高梨雄平が楽天入りし、一軍で貴重な中継ぎ左腕として奮闘している。
埼玉はかつて公立王国であり、春日部高からはヤクルト入りした青島健太(新潟出身)、広島入りしたパンチョこと木下富雄、春日部工高からはロッテ入りした古川慎一(東京出身)もいる。滑川高(滑川総合高)時代に捕手として甲子園に出場したのが久保田智之。プロでは阪神のリリーフ投手として大活躍し、2014年限りで引退した。春日部東高からは加藤翔平がロッテ入りし、川越工高から日本ハム入りした太田賢吾は現在、一軍で出場機会を増やしている。
また埼玉出身で他府県の学校に行っている選手も多い。東京・帝京高に通った奈良原浩(西武ほか)、芝草宇宙(日本ハム)、中村晃(ソフトバンク)、原口文仁(阪神)、同・日大三の山崎福也(オリックス)、宮城・東北高の嶋重宣(広島ほか)、同・仙台育英高の上林誠知(ソフトバンク)などだ。特に東京は完全に交通網がつながっており、いわばボーダーレス状態と言ってもいいだろう。
<埼玉ドリームチーム>
一番・二塁 山崎裕之
二番・左翼 中村晃
三番・右翼 嶋重宣
四番・捕手 松原誠
五番・一塁 鈴木健
六番・三塁 仁村徹
七番・中堅 山崎賢一
八番・遊撃 奈良原浩
九番・投手 斎藤雅樹
写真=BBM

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