画像: イチローが自己最多本塁打を前に死球で長期離脱【1999年8月24日】

イチローが自己最多本塁打を前に死球で長期離脱【1999年8月24日】

西武の新人・松坂大輔との対戦など話題の多いシーズンでもあった
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は8月24日だ。
8月22日にメジャー時代では最長距離となる132メートルのホームランを代打で放ち、注目された日米球界のレジェンド、イチロー(マーリンズ)。打撃練習の終盤には、いつもスピンをかけたような打球をスタンドに次々とぶち込み、“その気”になれば、ホームランを狙う技術を持っていることは周知の事実だ。
そのイチローのシーズン最多本塁打は、首位打者に加え、80打点で打点王にも輝いた1995年の25本。盗塁王も手にしているが、実は同年のホームラン王はダイエー・小久保裕紀の28本。“四冠王”の可能性も十分にあったということだ。
前年の94年、初の規定打席到達で、日本史上初の200安打超え(210安打)、首位打者獲得と大ブレークしたイチローだが、チームが優勝を逃した悔しさから、この年は打点にこだわった結果でもあった。
1999年は、イチローが自己最高の長打率.572をマークしたシーズンだ。102試合を終えた時点で21本塁打、自己最多本塁打更新は確実かと思われた。
事件が起こったのが、103試合目の8月24日、富山での日本ハム戦だった。三番打者のイチローは7回裏に日本ハム四番手の下柳剛から右手首に死球を受け、交代。翌25日の試合を欠場し、94年開幕日以来の連続出場は763試合でストップした。つまり「イチロー」となって初めて1試合まるまるスコアボードから名前が消えたことになる。
故障は長引き、そのまま閉幕まで復帰はなかった。
写真=BBM

column.sp.baseball.findfriends.jp

This article is a sponsored article by
''.