画像: ヤクルト・広岡監督、電撃退任【1978年8月29日】

ヤクルト・広岡監督、電撃退任【1978年8月29日】

広岡監督は、その後82年から西武監督となり、黄金時代を築く
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は8月29日だ。
1979年8月29日、ヤクルトの広岡達朗監督が退団を表明。前年、チームを球団初優勝に導いた監督が異例のシーズン途中退団となった。
翌30日に監督抹消が公示され、9月6日には広岡監督の参謀格だった森昌彦コーチ、植村義信コーチも抹消されている。
前年の78年、球団創設以来の初優勝、日本一に輝いたが、79年は主力選手が次々故障離脱。早々に最下位にどっかり座った。
こうなると自然と起こるのが、不平不満の声だ。妥協なく、厳しさを前面に出す「管理野球」の広岡監督に対し、それまで家族的なチームカラーだったヤクルトのナインは、以前から少なからず不満をためていた。勝利によって解消されていたが、負けが重なることで一気に噴出したのだ。
選手、首脳陣の反広岡派の要求もあって、8月7日、「選手に厳し過ぎる」と球団社長から森、植村コーチの降格を広岡監督に通告した。広岡監督は「勝負は、すべては監督の責任」と突っぱねたが、そこからもめにもめる。広岡監督にすれば、「前年オフ、3年契約を結んだ際、全面バックアップという条件を盛り込んだではないか。それをわずか半年で何だ」となり、球団は「勝てないんだから仕方ないだろう」になる。
最後には「これは辞任か、解任か」で、もめる泥試合となったが、29日、退団発表時の広岡監督は、すっきりした表情で「今まで野球人として生きてきた信念による行動」と語っている。
写真=BBM

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