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【キセキの魔球10】待望のFA取得の落とし穴

2017年6月19日。大家友和は現役引退を発表した。日米を股にかけて活躍した右腕だが、もしナックルボールと出合っていなければ41歳まで野球を続けることはなかっただろう。どこまでも野球と愚直に向き合った大家とキセキの魔球を巡る物語──。
メジャー8年目で手にしたFA資格
2005年、シーズン途中にブリュワーズに移籍した大家は3度目となる2ケタ勝利をマークした
大家友和がフリーエージェント資格を得たのは、メジャー8年目の2006年だった。
05年途中にワシントン・ナショナルズからトレードでミルウォーキー・ブリュワーズに移籍し、自身3度目となる2ケタ勝利を挙げた。翌06年度の契約交渉は球団との年俸調停を避けるかたちで折り合い、日米球界を通じてその年の日本人投手最高年俸額でブリュワーズと契約している。
そして06年オフ、いよいよ実働6年を満たしてFA権を取得し、働く球団と条件を自ら選ぶことができる自由を手にしていた。
メジャー・リーグの1シーズンの試合日数は162ゲーム。21日間の休息日と合わせて年間最大183日の実働可能日数がある。25人のメジャー出場選手枠に入っているか、もしくは故障者リスト入りしている場合にその日数が累計されていく仕組みだ。172日で実働1年とみなされ、実働6年に達したオフシーズンにFA資格を得ることになる。つまり、通算1032日というメジャー・リーガーとしての日々を積み重ねてようやくFA資格を手にするのだ。
シーズン終了後、大家サイドは、FAとなった他の150人近くの選手と同様に、MLB選手会宛てにFA権申請の手続きを取った。ワールド・シリーズ終了から15日間(現在は5日間)は、それまで所属した球団に単独交渉権が委ねられている。ブリュワーズは期限の06年11月12日東部時間深夜0時まで動かなかったため、翌日以降は他の29チームとの交渉が解禁になった。
ちなみにその数日後、ポスティングシステムによる大リーグ移籍を申請していた西武ライオンズの松坂大輔を、当時の落札最高額5111万ドルでボストン・レッドソックスが入札し、松坂との1カ月限定の独占交渉権を得ていた。のちに松坂はレッドソックスと6年契約を締結。同じくポスティングを行使して、元阪神タイガースの井川慶がニューヨーク・ヤンキースと5年、元ヤクルトスワローズの岩村明憲がタンパベイ・デビルレイズと3年と、それぞれ長期契約を結んでいる。
滑り出しは順調だったが......
メッツのオーマー・ミナヤGMも大家獲得に名乗りを上げたが......
さて、FA市場の駆け引きは、12月4日、フロリダでのMLBウィンター・ミーティングで本格化した。まず大家に興味を示したのは1年前まで在籍したナショナルズだった。編成を担うGMは、彼をトレードに出したときと同じジム・ボーデン。ナショナルズはフランク・ロビンソン監督の残留を見送り、新監督の就任が決まっていた。
交渉のために現地入りしていた当時の大家のエージェントは、MLBの派遣記者に対して、ナショナルズからオファーがあったことを認めた上で、提示額が相場をかなり下回ったことを匂わせた。
「話し合いは続けていきます。トモのために、マーケットをいろいろと探っていくつもりです」
滑り出しは順調だった。一時はナショナル・リーグ東地区でトモ・オオカ争奪戦の様相を呈した。ナショナルズの他に名乗りを上げたのはニューヨーク・メッツ。GMは、大家のモントリオール時代をよく知るオーマー・ミナヤ氏だ。他にもアトランタ・ブレーブスも積極的だったとされる。すべての契約交渉が終わったのち、元エージェントはこう語っている。
「ナショナルズは非常にトモを欲しがりました。しかし、FAにあまり予算を割きたくない様子でした。メッツも名乗りを上げ、ブレーブスとの交渉は契約寸前まで運んでいたんです。しかし最終的には、マイク・ハンプトン(トミー・ジョーンズ手術後リハビリ中)が復帰して使えるのではないかという判断を下したのだと思います。レッドソックスからは、中継ぎでどうかという話もありました。でも、トモはあくまで先発のピッチャーですから。レッドソックスがオカジマを取る前の話ですが」
交渉は年明けに持ち越され、結局、1月下旬にエージェントが取り付けてきたのは、アメリカン・リーグの激戦東地区所属のカナダのトロント・ブルージェイズとの単年契約だった。年俸は、報奨金の付帯事項が設置されてはいたが、当時のMLB平均年俸約280万ドルに届かず、当初思い描いていた内容とはかけ離れていた。
代理人の手腕に託される契約交渉
もしも、大家友和の野球人生に大きな曲がり角があったとしたら、このときが一つのターニングポイントになっている。
当時の彼の状況を振り返ってみると、重要だったのは年俸額ではなく、むしろ契約年数だった。ブリュワーズ2年目の5月、彼は肩のローテーターカフ(回旋筋腱板)を痛め、7月中旬まで約2カ月半、戦線を離脱している。チームドクターは手術の必要性は低いとして、理学療法による治療とストレングス・トレーニングによる回復を目指し、復帰後も大家は実際に好投している。しかし、一時的な結果に安心できず、各球団が一度肩を壊したピッチャーの獲得に慎重になるのももっともである。
のちに彼の代理人を引き継ぐことになった現エージェントは、あのとき、何が何でも彼のために複数年契約に漕ぎつけるべきだったと言っている。
「たとえば、高額なスポーツカーが壊れてしまったとします。壊れたからといって、すぐに捨ててしまうことはないでしょう。高い買い物だからこそ、部品を交換したりして、メンテナンスしながら大事に長く乗ることを考えます。野球選手も同じです。彼の場合は、複数年契約を勝ち取れば、1年目はまず肩をゆっくりと直すことができたはずです。健康な状態に戻してから、さらに活躍することができたでしょう」
契約交渉は、代理人の手腕に託されている。代理人の決断や立ち回り方法が、その後の選手の人生を良くも悪くも左右する。トロントとの単年契約締結から半年後、大家は想像もしていなかった環境に身を置くことになる。昨日まで華やかなスタジアムで活躍していたメジャー・リーガーが、突然、キャッチボールの相手すらいなくなるという急展開......。
彼には、野球選手になったときに思い描いた一つの青写真があった。ボロボロになるまで野球を続けられたら......。順風満帆なメジャー・リーガーの道から少しずつ逸れながら、それでも常に大リーグを最高峰の仕事場に据えることはあきらめず、30歳にして、大家友和の野球人生の第2幕が始まった。
<次回9月6日公開予定>
文=山森恵子 写真=Getty Images

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