画像: 【王貞治756号本塁打(17)】日本中が沸いた!王756号をついに達成!(9月3日後編・最終回)

【王貞治756号本塁打(17)】日本中が沸いた!王756号をついに達成!(9月3日後編・最終回)

1977年、今から40年前、大げさではなく、日本中がプロ野球に熱狂した時期がある。王貞治のハンク・アーロンが持つ当時のメジャー最多記録通算755号本塁打への挑戦だ。アーロンはブレーブス、ブリュワーズで76年まで現役を続けたホームランバッターだが、その引退翌年に王が世界記録を狙うのも、面白いめぐり合わせではある。週刊ベースボールONLINEでは、9月3日、756号の世界新記録達成までのカウントダウンを振り返っていく。
19時10分、快挙達成
思い切り上に上げないバンザイも謙虚な王らしい
前回は9月3日、ヤクルト戦(後楽園)の第1打席まで追ったが、今回は19時8分、王の第2打席から始める。マウンドは第1打席同様、右腕の鈴木康二朗だ。ジャンボと呼ばれた長身投手で、この年、すでに12勝を挙げていた売り出し中の男である。
王が打席に入ると後楽園の客席から、すさまじい歓声が沸き上がる。鈴木の表情も強張り、試合前、記者団に「じゃあ、サイパンに行ってきます」と冗談を言っていた男とは別人のようだ(756号を打たれた選手にサイパン旅行がプレゼントされることになっていた)。
1球目、外角に外れるボール。
2球目、外角高めにストレートでストライク。第1打席に続き、ここまでは外角一辺倒だ。
3球目、この日、初めて内角に来るがボール。この日の捕手は八重樫幸雄。「(正捕手だった)大矢(明彦)さんに王さんのときは左右目いっぱい使えと言われていた」と言うが、その目いっぱいが難しい。
4球目、八重樫は外角に構えたが、鈴木の球は内角へ。王はファウルチップでカウントは2ストライク2ボール。
5球目、外角にボールでフルカウント。途端に球場から不満の声が上がり、「逃げるのか、卑怯者!」の罵声も飛んだ。
蒼白だった鈴木の顔に、少し血の気が戻る。カッとしたようにも見えた。
6球目、吸い寄せられたかのように、内角寄りベルトの高さへ。これを王のバットがとらえ、ライナー性の当たりがライトスタンドへ飛び込む。ついに756号だ!
試合後、鈴木は「外角を狙ったシュートボールが真ん中に入ってしまった。王さんへの決め球は外角へのシュートと決めていたんですが、あの1球だけはすうっと......」と言ってうなだれ、記者の「サイパン旅行は」の質問には「絶対に行きません」と言った。
場面を戻そう。王の一打ですさまじい大歓声が巻き起こり、巨人ベンチからはナインが飛び出した。喧噪をよそに、王はスタンドインを確認した後、両手を上げ、笑顔で走り始める。次打者の四番・張本勲も大きくジャンプした。
5万人の観客は総立ちで拍手を送り、一、三塁側の6個のくす玉が割れ、一塁側後方から花火が打ち上げられる。まるでお祭りだ。王は、ホームベースの前で一度止まり、ぴょんと飛び上がってベースを踏んだ。最初に祝福の握手を交わしたのは、長年の盟友であり、指揮官・長嶋茂雄監督。19時10分の快挙達成だった。
まさに国民的行事
試合後のセレモニーで堀内恒夫が運転するリリーフカーで場内1周
王はその後、4回表にはライトの守備に就き、ファンの大歓声に手を振った。試合はそのまま8対1で巨人の大勝。優勝がさらに近づいた。
試合後のセレモニーも王らしさがあふれていた。両親が登場したシーンでは、2人が王に花束を渡すのかと思ったが、逆に王から「37年間(当時、王は37歳)、親孝行できなかった代わりの僕のささやかな感謝の気持ち」と『祝756』とついたフラワープレートを贈る。ベテランエースの堀内恒夫が運転するリリーフカーで球場を1周するパフォーマンスもあった。
照明を落としたグラウンド、マウンドのマイクの前に立ち、スポットライトを浴びての王のあいさつも紹介しておこう。
「全国のファンの皆様、温かいご声援を本当にありがとうございました。皆様のおかげで756号を打つことができました。ここ数日、1打席ごとに皆様の熱気を肌で感じておりました。今日皆様とともに夢をかなえることができました。本当にありがとうございました。
巨人軍のユニフォームを着て19年、その間にはいろいろと苦しいこともつらいこともありました。しかし今日、ここで全国の皆様からこのように温かく、熱烈な祝福をいただきまして本当に私は幸せな男だと思います。これからも体の続く限り、バットを振り続けて皆さんとともにホームランを打っていきたいと思います。どうか私だけでなく、プロ野球全体に今まで以上の声援をお願いいたしまして、私のお礼の言葉とさせていただきます。どうもありがとうございました」
さらに、インタビュールームの第一声も、王らしい。
「なんか、ヤクルトの鈴木君には申し訳ないような気もします」
試合後、日本テレビの特別番組に出演。知人と会食後、深夜2時40分に帰宅したが、自宅は600人のファンが取り囲み、王の姿を見ると「バンザイ」の大合唱となった。
翌日以降もテレビの特番、雑誌の特別号、さらに便乗商品の発売など、“756狂騒曲”はその後も熱を失わない。
9月4日には首相官邸で第1号の「国民栄誉賞」の授与式。秋の園遊会にもプロ野球選手として初めて招かれている。王の756号は、まさに国民的行事だった。
当時も条件が違うメジャー記録と比べるべきかという議論はあった。それについては、以前も紹介した王の言葉を結論にしていいのではないか。
「世界記録を作るとは思っていない。日本で756本塁打を放った人がいるというだけでいいよ」
野球人、いや人間・王貞治の偉大さになんら変わりはない。当時生まれていない、あるいは記憶にないという若いファンは、ぜひ先輩たちに聞いてほしい。1977年、756号をめぐる大騒動、それは日本中に感動と勇気を与える、大きな、大きな出来事だった。
<了>
写真=BBM

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