画像: “奇跡のリリーバー”盛田幸妃の野球人生

“奇跡のリリーバー”盛田幸妃の野球人生

9月4日、阪神は2月のキャンプ中に頭痛を訴えて離脱していた横田慎太郎が脳腫瘍だったことを発表した。約半年の治療を経て、現在は「寛解」の診断が下され、復帰へのスタートラインに立っている。“脳腫瘍からの復活劇”と言えば思い出されるのは盛田幸妃だ。前例のない戦いに挑んだ男の姿は非常に感動的だった。“奇跡のリリーバー”の野球人生を追う――。
浮き上がりながら打者に向かうシュート
大洋時代の92年、14勝をマークするなど開花した
「もう野球ができなくなるかもしれない」
そう思ってから約1年後、盛田幸妃はマウンドの上にいた。脳腫瘍からの、奇跡の復活だった。
函館有斗高時代は甲子園に3度出場。3年夏は1回戦敗退も、140キロ超えの速球で“北の怪腕”と注目された。その年のドラフトで大洋から1位指名を受け、1988年に入団した。
金の卵と言われるも4年間は鳴かず飛ばず。「これでダメなら野球をやめよう」と決意した5年目、何かを変えたいと、高校時代に死球を当て封印していたシュートを投げ始めたことが開花のきっかけとなった。直球よりも速い盛田のシュートは最大の武器となった。女房役だった谷繁元信は盛田のシュートに関して次のように評す。
「全盛期の盛田さんのシュートは狙われて打たれた記憶はありません。右打者の内角へグッと食い込んでいく。普通、シュートは曲がりながら落ちるんですが、盛田さんは違う。極端に言えば浮き上がりながら打者に向かっていく感じでした。打者も相当怖かったでしょう」
主にリリーフとして起用されたこの92年、14勝を挙げ、防御率2.05で最優秀防御率。以降は佐々木主浩と2人で“ダブルストッパー”と言われるようになった。
その後はチーム事情から先発の軸にと期待を受け、96、97年は開幕投手。しかし、途中からリリーフに戻ることの繰り返しで2年間は不完全燃焼。98年にトレードで近鉄に移籍した。
右半身が動かずも、あきらめず
99年10月7日、藤井寺でのロッテ戦で一軍復帰登板を果たした
同年、前半戦で5勝1敗1セーブという成績を残し、新天地での巻き返しを図っていた盛田を、突然悲劇が襲う。8月、脳腫瘍が見つかったのだ。「手術しても、野球選手として復帰できるか分からない」と医師からは告げられた。
9月10日に行われた摘出手術は、当初の予定を8時間もオーバーする12時間にも及ぶ大手術だった。運動神経を圧迫していた腫瘍の大きさは、直径5センチもあったという。そして術後は、盛田の想像を絶するほど苛酷な現実が待っていた。右半身がまったく動かなかったのだ。
利き腕は投手にとって命である。しかし、盛田はあきらめなかった。懸命のリハビリで、1カ月後には装具をつけて歩き始め、病院の中庭でキャッチボールもできるようになった。
手術からおよそ1カ月後の10月20日に退院。その後は横浜市内のスポーツ医科学研究所で、より専門的なリハビリを行った。年が明けて4月13日に藤井寺でファームに合流するまで、その長くつらいリハビリは延々と続いた。
チームに合流したとき、最初に感じたのは照れ臭いという感情だったという。もちろん合流とはいっても、最初は練習らしい練習もできなかった。グラウンドに出て最初にやったのは歩くこと。その後も軽いキャッチボールをして、ゴロを捕って体を慣らした程度。だが、チームメートと同じユニフォームにソデを通し、同じ空気を吸えることだけでうれしかった。
「不思議なことに、実際にグラウンドに戻ってこられたことで、体の状況が良くなって、目に見えて回復のペースが上がってきたんです。みんなを見たら闘争心に火がついたというか、早く同じレベルで、同じように動けるようになりたいと強く思いました」と当時、週刊ベースボールのインタビューで語っている。
復帰登板は8月26日、ウエスタン・リーグの中日戦(藤井寺)だった。2回、7打者に対して1安打無失点。ストレートは最高139キロを計測し、得意のシュートをはじめ、カーブ、フォークとすべての持ち球を投げた。「いいころの60パーセントくらいの出来」としながらも、その顔に焦りはなかった。
念願の一軍復帰登板は10月7日、シーズン最終戦のロッテ戦。藤井寺球場もこの年限りで一軍公式戦が行われなくなるということで、その別れを惜しむファンがドッと詰めかけ、ほぼ満員となった。6回表、リリーフカーに乗った盛田が登場すると、鳴り止まない『盛田コール』。家族や病院関係者ら支えてくれた人たち、そして声援を送ってくれるファンのことを思うと、涙が止まらなくなった。盛田は堀幸一を三振に仕留め、大拍手を浴びた。続くボーリックに四球を与えたところで交代となったが、ベンチに戻るまでの間も歓声が途切れることはなかった。
2001年には34試合に登板し、2勝を挙げカムバック賞。チームの12年ぶりの優勝に貢献した。翌02年限りで現役引退。通算成績は345試合登板、47勝34敗29セーブ、防御率4.05だった。
写真=BBM

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