画像: 【ドラフト会議物語04】渋いがなかなかの豊作年。大洋2位の平松政次が出世頭【66年2次】

【ドラフト会議物語04】渋いがなかなかの豊作年。大洋2位の平松政次が出世頭【66年2次】

今年は10月26日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で53年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。
完全試合投手を2人輩出
平松は翌年の都市対抗後入団。1年目のみ背番号は3だった
1966年11月17日
第2回2次ドラフト会議(日生会館)
[1位選手]
近鉄 門野利治 (平安高)
サンケイ 加藤俊夫 (日本軽金属)
阪急 平林二郎 (中京商高)
大洋 山下律夫 (近大)
東京 八木沢荘六(早大)
広島 西本明和 (松山商高)
東映 高橋善正 (中大)
阪神 西村公一 (甲府工高)
西鉄 荒武康博 (報徳学園高)
中日 伊熊博一 (中京商高)
南海 中村之保 (伊野商高)
巨人 槌田誠三 (立大)
1次に続いて行われた2次ドラフトは、5位までで終了と指名人数は少なかったが、この会議から多くの実力者たちがプロの門を叩いた。
1位では八木沢荘六が大洋、東映との競合で東京、西本が阪急、西鉄との競合で広島が交渉権を手にした。大誤算は東映だ。事前順位1番の八木沢を逃し、2番の西村公一がすでに阪神、3番の荒武康博は西鉄に抽選で敗れ、4番の門野利治もすでに近鉄。結果的には5番目の高橋善正となったが、それが1年目から15勝を挙げ、新人王となるのだから不思議なものだ。また八木沢、高橋とも、のちに完全試合達成投手になっている。
2位で大洋に指名された日本石油の平松政次は、のち名球会入りし、このドラフト会議組の出世頭。岡山東商高時代、3年時のセンバツで優勝投手となり、65年ドラフトで中日に4位指名も拒否し、社会人入りしていた。巨人志望が強く、このときも拒否の可能性が高かったが、結局、翌年夏の都市対抗で優勝を飾った後、1年遅れの入団をした。
ほかにも、のち内野の職人的選手としてレギュラーとなる東映2位の大下剛史(駒大)、阪急5位の阪本敏三(河合楽器)ら玄人好みのする渋い逸材がそろった豊作ドラフトだった。
<次回に続く>
写真=BBM

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