画像: “屈指のヒットメーカー”小笠原道大の記録挑戦がストップ【2001年9月10日】

“屈指のヒットメーカー”小笠原道大の記録挑戦がストップ【2001年9月10日】

最後の打席も出塁ならず(左は西武の一塁手・カブレラ)
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は9月10日だ。
2000年限りでオリックスのイチロー(現マーリンズ)が海を渡った。異論はあるかもしれないが、7年連続で首位打者を続けた“安打王”の後、新たに王座に就いたのは、ガッツこと日本ハムの小笠原道大ではないだろうか。イチローと同じ1973年生まれ。しかもイチローが10月22日に生まれた3日後、25日が誕生日という男だ。
翌01年は、ある意味、次期のチャンピオンベルトを競う第1ラウンドだった。完全に「打高投低」の時代で、パ・リーグ全体のシーズン打率も.264とすさまじい数字になっているが、首位打者争いもまた、ハイレベル。最終的にタイトルを取ったのは、ロッテの福浦和也(.346)、2位が小笠原(.339)、3位がダイエーの松中信彦(.334)と続く。
同年9月10日は、6月13日から続いていた小笠原の連続試合出塁記録が60試合でストップした日だ。
この記録は上位2位までをイチロー(69試合、67試合)が独占。9月9日に歴代4位の60試合としていた小笠原も十分に意識していたはずだ。小笠原は、この間、90安打で打率.363、四球31、死球3で出塁率は.440と好調を維持。10試合連続安打も続けていたが、10日の西武戦(東京ドーム)は、遊ゴロ、二ゴロ、中飛、一ゴロと4打席凡退。
「4打席もあって打てる打球もあったのに......情けないです」
試合後の小笠原はそう言って唇をかんだ。
それでもシーズン195安打で2年連続最多安打。さらに翌02年から2年連続首位打者で、以後、日本ハム、パ・リーグではなく、球界を代表するスーパースターとなった。
写真=BBM

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