画像: 阪神が優勝を逃したのは“幻の本塁打”が理由だったのか【1992年9月11日】

阪神が優勝を逃したのは“幻の本塁打”が理由だったのか【1992年9月11日】

歓喜の表情でサヨナラのホームを踏んだ八木(背番号3)だったが......
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は9月11日だ。
低迷期の真っ只中だった1992年、亀山努、新庄剛志、“カメシン・コンビ”と呼ばれた若虎2人の活躍もあって旋風を起こした阪神。例年苦戦する8月の死のロードを10勝6敗と10年ぶりに勝ち越すと、勝負の9月は9日から引き分けをはさむ6年ぶりの7連勝で、13日には首位に。85年以来の優勝に向け、一気に加速した。
そして、この7連勝の間の引き分けが、9月11日のヤクルト戦(甲子園)だった。あまりの悔しさからか、この引き分けで優勝を逃したかのように記憶している阪神ファンもいるようだが、実際には22日からのロード13試合で3勝10敗の負け越しが響いた。さらに言えば、最後の2試合、10月10日、甲子園に戻っての首位・ヤクルトとの2連戦に連勝すれば、まだプレーオフの可能性もあったのだが、初戦に敗れ、目の前でヤクルト・野村克也監督の胴上げを見る屈辱を味わうことになる。
では、11日、“幻の本塁打”として語り継がれる一戦を簡単に振り返る。
3対3で迎えた9回裏二死一塁だった。阪神の八木裕がフルカウントから左翼方向へ大飛球を放ち、スタンドイン。阪神のサヨナラ勝ちだ。八木はバンザイしてホームイン。阪神ナインが八木を囲み、お祭り騒ぎとなった。
しかし、ここでヤクルトの野村監督が猛抗議、37分の中断。「フェンスのラバー上部に当たってのスタンドインであり、エンタイトル二塁打」と判定が覆る。今度は中村勝広監督が怒って猛抗議した。
提訴試合を条件に試合を再開したが、そのまま互いに得点はできず、日付が変わった翌12日の午前0時26分、延長15回3対3のまま引き分けとなった。試合時間は史上最長の6時間26分となった。
ただ、この引き分けが響いて優勝を逃したわけではなく、前述のように、その後も連勝を続け、13日に首位となった。のちの当時の選手のインタビュー記事を読んでも、この一戦がどうこうというより、中村監督がロードの前に「大きな土産を持って帰ります」と発言したのをきっかけに、監督も選手も優勝を意識してガチガチになってしまったのが、最大の原因になったようだ。
もちろん、この試合をサヨナラで勝てば、さらに勢いに乗り、また違った状況になった可能性もないわけではないが......。
写真=BBM

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