画像: 優勝を巡る忘れじのドラマ、近鉄「10.19」の死闘

優勝を巡る忘れじのドラマ、近鉄「10.19」の死闘

広島、ソフトバンクのリーグ制覇が目前だが、過去には優勝を巡る数々のドラマがあった。その一つが1988年の「10.19」だろう。王者・西武を猛追した近鉄が、優勝の望みを託したシーズン最後のダブルヘッダー2試合だ。最終戦にして惜しくも優勝を逃しただけに過ぎない、と言うこともできる。だが、その優勝を逃したドラマが、四半世紀を経た今も語り継がれるのはどういうわけだろうか。この1日の、何が我々の心を揺さぶり続けるのか......。
「飛ぶ雲、飛ぶ声、飛ぶボール......」
ダブルヘッダー第2試合は時間切れ引き分けで優勝を果たせなかった近鉄ナイン
「選手は一生懸命やってくれた。私には悔いはない」
仰木彬、53歳。彼は精一杯のウソをついた。とても美しいウソである。
敗者の美学......そんなロマンチックな響きはない。泥だらけになって、130試合、最後の1イニングで涙をのんだバファローズ。彼らと、仰木監督だけに許される、正々堂々の男泣き......。
10月5日。首位に立った近鉄だったが、仰木監督は顔をひきつらせた。日米野球の予定があるため、連盟から回ってきた日程表は「13日間で15試合」という過酷なものだった。主力はほとんど故障している。心臓破りの坂にさしかかって、めまいがしてきたようなものである。
ライバルの西武は16日に全日程を終了。この時点で近鉄は残り4試合でマジック3。つまり4試合で3勝しなければならないのだ。
17日、連戦続きの近鉄は、阪急に痛恨の黒星を喫する。阪急の上田利治監督は、すでにチームの身売りを知った上で、それをユニフォームの胸に秘めて戦っていた。阪急にとっても覚悟の試合だったのだ。
近鉄にとっては泣くに泣けない1点差負けだった。試合後、近鉄ナインは京都駅南口のホテルへ。翌日は早朝に移動なので、少しでも東京に近づいておこうという涙ぐましいフロントの配慮だったが、バスの中には沈痛な空気が漂っていた。最前列の仰木監督は、選手会長の大石第二朗に「おい、何か頼むぞ」とうながす。大石がマイクを持って立った。
「泣いても笑っても3試合。頑張ろう!」
すると、終盤にヒザを痛めて出番のない投手の佐々木修が立ち上がって、大声で歌いだした。
「飛ぶ雲、飛ぶ声、飛ぶボール......」
バファローズの応援歌である。やがて全員が続いた。敗戦のバスは、猛牛軍団の絶唱で大きく揺れた。仰木監督の、丸くなりかかった背中に活を入れた。ナインと仰木監督の心は、ひとつになっていた。
18日、川崎球場で最下位のロッテに快勝。2ランを放ったブライアントは、故郷ジョージア州で父親が危篤だった。明けて19日。ダブルヘッダーに連勝しなければ優勝できない。だが、疲れ切った猛牛軍団に絶対連勝というフィナーレを要求するのは、あまりにも残酷だった。
「まだ、あと1試合あるんだ!」
第1試合の9回表、梨田の適時打で生還した鈴木と抱き合って喜ぶ中西コーチ
10月19日。ほんの少し雲がたれこめた川崎球場。第1試合は午後3時にプレーボール。このころ、ネット裏には「阪急身売り」のニュースが駆け巡っていた。何もパ・リーグの優勝決定の日に......。つい3週間前に、南海がダイエーに譲渡されて福岡へ移転するという驚きのニュースがあったばかりだ。同じパ・リーグの名門が、次々にリストラされていく。ネット裏は異常事態。グラウンドでは、近鉄ナインが悲壮な戦いを演じている。引き分けは許されない。ましてや、敗戦においては......。
先発の小野和義は、いきなり初回に愛甲猛に2ラン。鈴木貴久のホームランで1点差に追い上げるも、7回裏に3点目を失った。
「おまえら、どくれることはしちゃいけん!」
中西太コーチはナインに叫ぶ。どくれる、とは、ヤケクソとかあきらめるという意味である。
8回表、一死一、二塁。仰木監督が立ち上がる前に、村上隆行はバットを手にベンチから飛び出した。
「僕です! 僕が打つ!」
代打・村上の打球は、左中間の金網を直撃する同点二塁打となった。でも同点ではダメなのだ。第1試合は9回をもって打ち切りとなる。逆転しなければならない。あと1イニング、あと1点......。
9回表も一死となった。淡口憲司が右翼フェンス直撃の二塁打を放った。代走に佐藤純一。ロッテの有藤道世監督はリリーフエースの牛島和彦を送り出す。近鉄戦8連敗中のロッテも必死なのだ。打席には鈴木。打球は右翼に抜ける。佐藤が三塁を回る。だが、右翼手の岡部明一は強肩、しかもバックホームに備えて前進守備をしていた。ストライクのバックホーム。三塁コーチの滝内弥瑞生が一瞬のシグナルを中途半端にしたことが、手痛い走塁死となる。
9回表、二死。ここで仰木監督は、17年目の梨田昌孝を代打に送りだした。梨田は「不思議と僕は“無”になれた」と言った。梨田は引退を決意していた。“最後の打席”だった。マウンドで牛島は、梨田の“白装束の覚悟”を嗅ぎ取った。ならば、ストレート勝負......。梨田はその牛島の心が読めた。ストレートで勝負してくる......。グシャッという音。つまった。打球はゆっくりと二遊間の頭上を越え、センター前に落ちる。鈴木が猛然とホームに滑り込んだ。
勝ち越しだ。でかい中西コーチといかつい鈴木が抱き合ったまま、ホームベース付近でゴロゴロと転げまわった。それは近鉄ナインの気持ちを象徴していた。“有終の美”を梨田は二塁ベース上でかみしめる。4対3。夢と奇跡が残った。
9回裏、エースの阿波野秀幸がロッテを振り切った。仰木監督は絶叫するのである。
「まだ、あと1試合あるんだ!」
限界状況の疲労と緊張から、ナインは異様にハイテンションだった。第2試合までの25分間の休憩で、興奮したナインは、うつろな目で動き回る。このころ、テレビは細切れながら、川崎球場の様子を実況し始める。鮮やかな逆転勝利......。日本列島に、じわじわと、それでいてフルスピードで、川崎球場の人間ドラマは伝えられていった。
「阿波野は確かに疲れていた」
第2戦の8回裏、高沢秀昭に同点弾を浴びて、しゃがみ込む阿波野
午後6時44分。祈りにも似た熱い視線と想念のなかで、第2試合がプレーボール。近鉄は高柳出己、ロッテは園川一美の先発で始まった。新人の高柳を出したところが、近鉄の苦境を示していた。
またしても、ロッテが先手を取った。2回裏、マドロックが先制ホームラン。近鉄はゼロ行進。6回表、真喜志康永が際どい球を見逃し三振。この判定に猛然と中西コーチが飛び出した。
「オレたちはみんな、命がけで戦っとるんや!」
近鉄は熱い。大石が左前打。新井宏昌が絶妙なバントを決める。二死二塁。ブライアントが敬遠四球。オグリビーが中前に同点打。追いついた! このとき、テレビ朝日は『ビートたけしのスポーツ大賞』をぶっ飛ばして中継を始めた。名古屋のホテルではテレビの前でセ・リーグ優勝チームの中日ナインが固唾をのんで見守っている。青年将校・星野仙一監督は「相手は近鉄か? 西武か?」と腕組みをしていた。
7回表、一死から吹石徳一が園川からホームラン。左手首骨折の金村義明の代役だった。二死となり、なんと真喜志もホームラン! 3対1となる。だが、その裏、岡部のソロなどで高柳が降板。リリーフした吉井理人も西村徳文に同点打を浴びた。3対3。同点ではダメなのだ......。
このころ、西武球場には西武ナインが詰めかけていた。近鉄が引き分けか負けなら西武が優勝なのだ。森祇晶監督は、西武球場の真っ暗闇の駐車場に止めた車の中で、一人でラジオを聴いていた。
8回表、ブライアントが34号。近鉄が4対3とリードした。東京の近鉄宿舎では、慌ただしく祝勝会のビールが並べられる。川崎球場のスタンド下では、優勝記者会見のセッティングが完了した。近鉄の佐伯勇オーナーは、川崎球場の近くに車を止めさせて、ジッと待機した。
8回裏、仰木監督は吉井から阿波野に代えた。エースである。この1年は阿波野が支えてきた。この土壇場でチームの命運を託すのは当然だろう。一死から四番・高沢秀昭。阿波野は精も根も尽き果てていた。シンカーが甘い。打球が左翼席へ悲鳴とともに落ちた。
「阿波野は確かに疲れていた。だが、あの試合はエースに任せたのだから、それでいい」と仰木監督は言った。
3度目の同点。4対4。時計の針は午後9時49分。同点ではダメなのだ......。時間がない。
9回表、二死となる。大石が左翼線を破った。希望の灯は消えていない。新井の猛烈な打球がサードへ飛ぶ。水上善雄の超ファインプレー。近鉄、9回表、0点。
時計は10時を回る。テレビは実況を続けていた。テレビ朝日『ニュースステーション』のキャスター・久米宏は、局の上層部に直談判で、この試合のハイライトを放送することに決めた。CM抜きのぶっつけ本番。損得抜きで、日本全国に男たちのドラマを流し続ける。全国で驚異的な視聴率。大阪では46.8パーセントで、前年の紅白歌合戦を上回った。
「まだ3分もあるじゃないか!」
9回裏、クロスプレーを巡って猛然と抗議する有藤監督。時間が刻々と過ぎていった
9回裏になる。無死一、二塁のピンチ。阿波野は二塁にけん制。走者の古川慎一がアウトになる。このピックオフプレーで、二塁手の大石と古川のクロスプレーを巡って、有藤監督が猛然と抗議した。
刻々と時間が経過する。アグリーメントで「4時間を過ぎて新しいイニングに入らない」という条項があり、この抗議時間は、近鉄にとってはつらい。タイムリミットは情け容赦なく近づいてくる。
「こっちだって商売だ」と有藤監督は言う。だが、判官びいきの日本中を、有藤監督は抗議によって敵に回したことになった。抗議は9分。このロスタイムが結果的に、近鉄の野望にシャッターを降ろすのだ。
阿波野は踏ん張って、延長戦に入った。10回表、近鉄一死一塁。羽田耕一が二塁ゴロ併殺打で、近鉄0点。時計は10時41分になっていた。
時間切れまで、あと3分。3分で何ができる。
「いや、まだ3分もあるじゃないか!」
大石は叫んだ。88年が終わる。過酷なロードが終わる。バファローズの漂泊の旅が終わろうとしている。
10回裏、近鉄ナインは「希望のない守備」に散る。大石、羽田、吹石、梨田......。テレビカメラは選手たちの悲しい顔を一人ひとり、アップでとらえていく。ベンチでは金村が号泣している。阿波野も涙をぬぐおうともしない。絶望の8ゲーム差から、必死で勝ち進んだ。非常な強行日程という現実が、近鉄ナインをもてあそんだ。それでも彼らはひたむきに戦い、130試合目、そのラストイニングで力尽きた。
午後10時56分、ゲームセット。
全員がロッカーで号泣した。
仰木監督は静かに、こう言った。
「全員が一丸となって、持てる力を出し尽くして戦った。だから悔しいが“悔い”はありません」
このドラマには続きがあった。翌89年、近鉄は土壇場の直接対決、西武3連戦でブライアントが4連発! 逆転優勝を飾って......。
写真=BBM

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