画像: 雄星が抜こうとしている“神様・稲尾”が嫉妬した男

雄星が抜こうとしている“神様・稲尾”が嫉妬した男

球団左腕シーズン最多奪三振を記録
現役時代の畑。速球勝負できた時期は短かった
9月14日、楽天戦(Koboパーク宮城)で、西武の菊池雄星が8回1失点で15勝目。11奪三振でシーズン2ケタ奪三振も10試合となり、2003、06年の松坂大輔(現ソフトバンク)と並ぶ球団タイ記録となった。
さらにシーズン奪三振も初の200超えの201。球団の左腕では西鉄時代の60年、畑隆幸の219に次ぐ2位となった。
従兄弟が動物学者の畑正憲氏、ムツゴロウさんということでも話題になった畑は、現役時代はシーズン42勝の記録を持つ西鉄の鉄腕・稲尾和久をして「腰のケガがなかったら、僕以上の成績を残していたかもしれない」と言わしめた男でもある。
小倉高のエースとして、浮かび上がるような快速球を武器に4季連続甲子園出場。まさに鳴り物入りで1956年西鉄入団。同期入団だが打撃投手扱いだった稲尾に比べ、入団時の扱いは、畑のほうがはるかに上だった。まったく無名だった稲尾は、畑の快速球を見て、「絶対にかなわない」と嫉妬したこともあるという。
しかし、当時はよくあったのだが、二重契約問題で南海から提訴され、正式入団は3月6日、春季キャンプには参加できなかった。結果的にはこれが響いた。体作りもろくにできないまま、いきなりシーズンイン。それでも5月から先発ローテに定着し、7勝を挙げたが、しばらくして腰が悲鳴を上げた。
脊髄分離症だ。最初に行った病院で、「もう野球は無理」と告げられたが、あきらめるわけにはいかない。それでも全国各地で治療を受け、何とか投げられるようになったが、「ボールのキレは最後まで戻らなかった」という。
翌年から2勝、6勝、1勝......。大エースとなった稲尾とはどんどん差を引き離された。それでも多彩な変化球を駆使する技巧派に活路を求め、60年に11勝、このとき奪三振219をマークした。その後、61、63年に13勝を挙げたが、65年中日に移籍し、一軍登板のないまま引退となっている。
かつて畑はインタビューで、こんなことを話していた。
「稲尾を見て、悔しいと思ったこともあるし、自分でももったいないなと少し思うけど、仕方がないかなと。まあ、人に迷惑はかけんかったし、短い間だったけど、いい思いもしたからええんやないかって思いますよ」
写真=BBM

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