画像: 【石田雄太の閃球眼】欠けていた仲間意識とリスペクト

【石田雄太の閃球眼】欠けていた仲間意識とリスペクト

8月24日のソフトバンク戦の初球に反則投球の指摘を受け、この回、3失点などで崩れた西武の菊池雄星。この後、フォームを調整し3戦3勝2完投
我が家の近くにT字路がある。そこには止まれの標識があるのだが、見通しも悪くないことから減速するだけで、一時停止をせずに進んでしまう車が少なくない。
ちょうどそのT字路には、ドライバーから見えない位置に警察官が身を隠して違反をチェックするのに絶好の場所があり、さらに違反した車を引き込んで停車させるのに都合のいいエリアもある。だから警察はしょっちゅう、そこで取り締まりを行なっている。
ドライバーなら、隠れて取り締まりを行う警察に対して釈然としない違和感を覚えた経験はあるだろう。もちろん交通違反を犯したから取り締まられるのだし、違反を正当化するつもりもない。ただ、身を潜める場所があり、反則キップを切っても交通の邪魔にならなさそうな、そんな場所に限ってやたらと取り締まりをしているものだから、これは事故を防ぐためではなく、反則金を集めるためにやってるのではないかと、つい警察の腹を探りたくもなる。
事故を起こさせないための取り締まりなら、一時停止の標識の脇に警察官が立って注意を促せばいいのに、それをしないのだから、違反を犯すのを待っていると言われても仕方があるまい。いったい何が大事なのか――そんな本末転倒な取り締まりを連想させたのが、ライオンズの菊池雄星が反則投球を犯してしていると指摘したときの審判団の態度だった。
そもそも、今シーズンの開幕の時点で菊池のフォームには反則はなかった。それがシーズンの途中から、右足を上げている時間が徐々に長くなってきた。それは菊池の中で、左の股関節に体重をしっかり乗せてから投げようという意識が高まってきたからだろう。しかし、この右足を上下させて間を取る動きが、野球規則の「投手が投球動作中に、故意に一時停止したり、投球動作をスムーズに行わずに、ことさら段階をつけるモーション」に当たると判断されたのだ。それがいつ、どんな形で審判から菊池に注意として伝えられ、それは審判団としての総意だったのかどうか、また、なぜあのタイミングで最初の反則が取られたのか、どこが反則に該当するのかなど、いくつものことについて審判団と球団との間にそごがあり、それが両者の間に不信感を生むという不幸な結果を招いてしまった。
審判のありように警察の隠れての取り締まりが重なったのは、今回、まるで菊池の反則投球を待ち伏せしていたかのように、審判がいきなり試合で反則投球を宣告したからだ。その前に審判のほうから「注意をした」とか、球団側から「具体的な説明がなかった」とか、互いの不誠実さを論う発言がいくつも飛び出していたが、問題にすべきは、いったいなぜ、試合で反則投球が宣告されるところにまで至ってしまったのか、というところにあるのだと思う。
段がついていたとはいえ、菊池はその前、何試合かはずっと同じフォームで投げていたはずだ。一球ごとに段をつけたり、つけなかったりしていたわけではない。つまり、バッターの目を惑わすために段をつけていたわけではなく、よりよいボールを投げるためにそうしていたことは明らかだ。それが野球規則に抵触するというのなら、待ち伏せして取り締まるのではなく、どう抵触しているのかを試合に至るまでにきちんと説明して、そうならないように注意喚起するのが、反則を犯させないための審判の役割ではなかったか。
そこに欠けていたのは、ともに野球界を盛り立てていかなければならないという仲間意識と、選手に対するリスペクトではないかという気がしてならない。常に高みを目指して技術を突き詰めようとする選手の試みに対し、もしリスペクトがあったのなら、試合で反則をコールする前にできることはいくらでもあったはずだ。審判の側に「少しでも違反したら取り締まってやる」という意地悪な心はなかったと言い切れるだろうか。
審判と選手は敵ではない。
そうした空気を作るためには、こういう問題を当事者同士の手打ちで済ませないことが肝要だ。過去から現在に至る、段がついていると言われても仕方のないフォームのピッチャーへの見解を明確にし、菊池だけから反則を取った理由をファンに言葉で説明する責任が、審判団ならびにコミッショナーにはある。それを果たさずして、審判と選手の間に信頼関係など、生まれるはずはないと思う。
文=石田雄太 写真=湯浅芳昭

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