画像: 近鉄・西本監督、初めての美酒【1975年9月21日】

近鉄・西本監督、初めての美酒【1975年9月21日】

祝勝会にて。中央が西本監督。左端が佐伯オーナー
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は9月21日だ。
近鉄バファローズの初優勝は1979年だが、初めて“優勝”を経験したのは、球団創設26年目、1975年9月21日の夜だった。
当時、パ・リーグは前後期制。前期3位だった近鉄は、後期は7月末から走り、「近鉄特急」とも言われた快進撃で優勝に着々と近づいた。
マジック2で迎えた、敵地・西宮での阪急との4連戦。初戦を引き分けで1としたが、その後、20日、さらに21日のダブルヘッダー第1試合にも敗れ、思わぬ足踏み。それでも第2試合は先発の井本隆が素晴らしいピッチングを見せ、打っては平野光泰がホームラン。8回からはエースの鈴木啓示が登板し、ピシャリと締めて“初優勝”を決めた。
阪急の最後の打者・ウイリアムを鈴木が中飛に打ち取った瞬間、内野、外野から一斉にファンが雪崩込む。2万8000人と発表された観客の大半が近鉄ファンだった。「スタンドにお戻りください」のアナウンスを誰も聞かず、西本幸雄監督の胴上げにも“合流”した。
50年に創設された近鉄は、優勝に縁がないどころか、ここまでの25年で14回が最下位と、とにかく弱かった。それでも74年に就任した西本監督は「2年で優勝する」と公約。この年55歳、あふれんばかりの情熱で鍛え上げ、阪急を常勝軍団に変えた実績もあった男でもある。
胴上げの後、西宮球場内で行われた優勝会見では、西本監督は冷静そのものだった。
「昨夜はのんびり家で月見団子を味わった。優勝なんてこんなものですよ。西宮では一塁側で何度も胴上げされたしね」
近鉄球団を誰よりも愛していた佐伯勇オーナーは、「リーグの荷物やと言われ、何度球団を手放そうかと考えたことか......。ダルマさんは9年我慢したが、私は26年間待っていましたよ」と感無量の表情だった(※達磨大師は9年間坐禅を続けたと言われる)。
選手は会見の後、バスで日生球場に移動。午後11時過ぎからビールかけ。ここでは西本監督も愛弟子たちと子どものようにはしゃいだ。
しかし、プレーオフでは前期優勝の阪急に敗退。本物の優勝は、お預けとなった。
写真=BBM

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