画像: 博多が揺れた王ダイエー初優勝【1999年9月25日】

博多が揺れた王ダイエー初優勝【1999年9月25日】

体がピンと伸びた王監督の胴上げ
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は9月25日だ。
今季はセ・リーグが広島、パ・リーグがソフトバンクの優勝がすでに決まったが、優勝決定の胴上げで、よく聞かれるのは、「王監督はうまかったよね」という言葉だ。ホークス時代の王貞治監督は、いつも手足と体をピンと伸ばし、きれいに宙を舞った。
そして、王監督が初めて博多の空を舞ったのが、1999年9月25日である。王監督は、そのときの気持ちを問われ、「ドームの屋根に届くかと思うほど高い胴上げだった。この宇宙を独り占めした感覚だね」と答えている。
リーグ優勝決定は、本拠地・福岡ドームでの日本ハム戦だ。初回、今季の鳥谷敬(阪神)のように顔面デッドボールの後、フェースガードをつけていた秋山幸二の先頭打者本塁打で先制、その後、一時、逆転されるが城島健司のタイムリー内野安打と小久保裕紀のソロで同点。さらには、8回裏に今季限りで引退する現ロッテの井口資仁(このときは忠仁)が「俺が決めてきますよ」と宣言しての勝ち越し弾。
投げては先発の若田部健一から13勝無敗の篠原貴行、不動の守護神・ペドラザにつなぐ。最後の打者は三振だったが、ウイニングボールを持った捕手の城島は「笑って監督に渡そうと思ったんですよ。でも、監督の笑顔を見たらダメだった。涙が止まらなくなった。3年間、怒られながら使ってもらった。ずっと『城島を使ってよかった』と言ってもらいたかったんで」と目を真っ赤にした。
王監督の目も真っ赤だった。優勝インタビューでは一瞬、言葉を詰まらせたが、すぐ笑顔を浮かべ「選手、監督、コーチがこれほど一体感を持って戦ったのは初めてです」と胸を張った。
巨人監督退任後、満を持しての就任だったが、低迷が続く。「世界の王」がヤジられ、選手バスに生卵が投げつけられる屈辱もあった。グラウンド外の事件も続き、この年は、自身を監督に呼んだ根本陸夫球団社長の急死もあった。波乱万丈の5年でようやく届いた、まさに万感の優勝だった。
写真=BBM

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