画像: 熱狂の歴史に幕。さらば平和台球場!【1992年10月1日】

熱狂の歴史に幕。さらば平和台球場!【1992年10月1日】

49年12月の開場以来、1907試合目の公式戦だった
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月1日だ。
福岡県福岡市にあった「平和台」。1950年代後半には、最強を誇った西鉄ライオンズの本拠地としてにぎわいを見せた球場だ。博多っ子の気質もあるのか熱狂的かつ荒っぽい応援でも知られ、観客がグラウンドに乱入したり、物の投げ入れが頻繁に起こった球場でもある。
ただ、黒い霧事件もあって人気も成績も低迷。西鉄から太平洋クラブ、クラウンライターと名前を変え、78年には西武が買収し、本拠地も埼玉県所沢となった。
帰ってきたのは89年だ。チームはライオンズではなく、往年のライバル、ホークスだった。南海を買収したダイエーが福岡を本拠地とし、平和台を使用することになったのだ。ただし、すでに87年に球場の敷地内に遺跡が発見され、球場を取り壊し、歴史公園を造る計画が進んでいた。92年限りでの「福岡ドーム」への移行は既定路線でもあった。
迎えた1992年10月1日のラストゲームは、不惑の大砲とも言われた門田博光の引退試合でもあった。相手投手は近鉄・野茂英雄。門田は「三番・DH」で先発出場し、初回の打席で速球をすべてフルスイング。空振り三振で23年の現役生活にピリオドを打った。
試合はダイエー先発の新人・若田部健一が好投を見せ、8回に広永益隆の決勝アーチで挙げた1点を守り切っての完封。10勝目を挙げている。
写真=BBM

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