画像: 野村南海が死んだふり優勝【1973年10月24日】

野村南海が死んだふり優勝【1973年10月24日】

プレーオフを制し、南海が日本シリーズへ。中央が野村監督
「死んだふり優勝」という、やや下品な言葉をご存じだろうか。
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月24日だ。
これは1973年、南海ホークス優勝時に言われたものだ。随分昔話だが、それでも「当時の監督は誰?」というクイズを出したら野球ファンの70パーセントは正解するのではないだろうか。
捕手と兼務のプレーイングマネジャー、野村克也である。ノムさんは、あれから多くのチームで監督となっているが、それでもいまなお「会心の采配はあのときだった」と言い切る。
人気低迷に苦しんでいたパ・リーグは、この年から前後期制を導入する。要は優勝争いが2回あったほうが面白いだろう、ということだ。
その前期に優勝したのが、野村監督が率いる南海だった。ただ、野村監督も認めているが、当時のパで一番強かったのは、間違いなく、阪急ブレーブスだった。実際、後期、南海は阪急に1勝もできず、なんと12敗1分だ。迎えたプレーオフも阪急有利の声がほとんどだった。
このときの阪急に仕掛けた野村監督の駆け引きは非常に面白いのだが、いちいち説明すると長くなる。ただ、2勝1敗で来て、勝てば優勝の第4戦に南海は1対13で大敗。野村監督は、序盤戦で負けを覚悟し、むしろ大振りされ、阪急打線の油断を誘おうとしたという。本当かどうかは分からない。ただ、そのくらいの思いで戦っていた。
2勝2敗で迎えた第5戦が10月24日だ。
舞台は敵地・西宮球場。南海が山内新一、阪急が山田久志と両エースの先発でスタートした。白熱の投手戦で0対0のまま9回に突入。ここで南海はスミス、広瀬叔功がソロ本塁打で2点を奪った。その裏、阪急は当銀秀崇の代打本塁打で1点差に詰め寄るが、最後は江本孟紀を投入し、南海は7年ぶりの優勝を決めている。
のち後期の大敗は、阪急を油断させるためでは、と言われ“死んだふり”の言葉が生まれたのだが、野村監督の言葉は、はっきりしている。
「死んだふりやない。それだけ阪急とは力の差があっただけよ」。
写真=BBM

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