文/本間 暁 写真/佐藤伸亮

 耳慣れた、軽快なラテンミュージックだった。

 前IBF世界スーパーバンタム級チャンピオン、小國以載(角海老宝石)の入場曲。
ジェニファー・ロペスの『Let's Get Loud』。
 12月19日、後楽園ホール。
この曲を聴くのは、9月13日のエディオンアリーナ大阪以来だ。

「前に小國を取材したときに、彼が『いい選手なんですよー』って絶賛してましたよ」と、ライターの船橋真二郎さんが教えてくれた。

 そっか。小國からこの曲を引き継いだんだな。

 そう勝手に解釈していた。

 軸足のキックを強く伝える強烈なジャブ。レバー、ストマックと、相手の急所をとらえていく多彩な左ボディブロー。
「大学の先輩、井岡一翔や中澤奨みたいなジャブだな。それに、左ボディが上手いのも東京農業大学出身らしい」

 1階級下のOPBFランカーにして、フィリピン・チャンピオンのレスター・アブタンは、ひと回りサイズが小さいとはいえ、その小ささがやりづらさを増幅させた。

「頭が怖くてビビりました」

 しかし、「あの人(アブタン)は自分の左側に入ってくるので、(向かい合う間合いを)調整しようと思って」右へ、右へとサイドステップを刻んだ。

 スピード差は歴然。けれども、遅れて飛んでくる左右フックを浅くだがコツコツともらい、足を止めて打ち返す場面も。

「すぐカーッとなってしまうところが悪い癖です」

 4ラウンド。ふたたびステップとサークリング。
だが、追いかけて飛んでくるアブタンのブローを察知して、阿部弘幸トレーナーから「中に入れ!」の指示がかかる。

 くっつく。そしてスッとバックステップ。すかさず左フックから右ストレート。
「右はまったく力を入れずに打ちました」
 アブタンはたまらず崩れ落ちた。

 からくも立ち上がったフィリピン人を、連打でまくる。左ボディブローから右、右、右、右。
 レフェリーがアブタンを抱えて決着した。

 1995年1月15日生まれの22歳。
小学2年生で、地元の大阪府豊中市にある
『ライザースポーツジム』でボクシングを始める。
 同級生で良き友、良きライバルの秋山佑汰と出会ったのもココだ。
小5、小6と2年連続で『U-15全国大会』で優勝。
 その後、進学した箕面東高校にはボクシング部がなかったが、
「校長先生がめっちゃいい人で、名前だけつくってくれた」

 2011年の全国選抜大会ライトフライ級で、井上拓真(当時、綾瀬西高校。現・大橋)に敗れて準優勝。
 しかし、秋山はバンタム級で優勝を果たし、その後もインターハイ、国体を制す。
 秋山は東洋大学へ進学し、現在は自衛隊体育学校に所属。さきの国体成年の部ライトウェルター級で優勝を果たし、全日本選手権では、オリンピアン成松大介にポイントを奪われたものの、堂々と渡り合っている。

「僕は、大学でも試合に出ていませんでしたから。U-15のころがピークだったのかなぁ(笑)」

 国際大会(台北市カップ)でも金メダルを獲っている秋山には、ずいぶん先を行かれているという自覚がある。
 でも、オリンピックを目指す秋山とは別の道を歩み、自分は自分の目標を求めていく。到達する速度は人ぞれぞれだから。

「ボディ打ちは、阿部さんに教わりました。あとは、小國さんの打ち方を参考にしています」

 2016年12月31日。
23戦22勝22KO1無効試合というジョナタン・グスマン(ドミニカ共和国)に判定勝ちし、IBF王座を奪取した小國。
 打たせないことにかけては天下一品の小國が、ダウンを奪ってキーパンチとした左ボディブローは、やはり阿部弘幸トレーナーと磨きに磨いた珠玉の一撃だった。

「入場曲、小國さんと同じでしたね」

「あれは小國さんに許可をもらったんです。小國さんに、また復帰してほしいから……」

 勝手な解釈は、まったくもって身勝手だった。願いをこめた選曲だったのだ。

「許可、もらえないと思ったんですけど、もらえたので」

 6月のデビュー戦に続き、しかもたった2戦目でランカーを倒したというのに、その試合を振り返るとき以上の笑顔を浮かべた。

 想いをこめる。
思い出すシーンがあった。

黙々とリングの状態を確認し、ウォーミングアップする荒川。その体には、想いをこめたTシャツがあった
写真/本間 暁


 7月11日、WBOアジアパシフィック王座の初防衛戦に臨む荒川仁人(ワタナベ)が、試合前、入念にリングチェックをしていたときのことだ。

TIME FOR PAYBACK──さあ、復讐のときだ。

 内山高志がリベンジマッチに臨むにあたり、製作されたTシャツ。
荒川はこれを着て、一心不乱にシャドーボクシングに没頭していた。

 小國が大阪で大アップセットを演じた同じ日、内山は、ジェスレル・コラレス(パナマ)との再戦に1-2で破れ、王座返り咲きがならなかった。

 進退がわからないまま、時間ばかりが経過していたとき。

「口に出してしまうと、実現しない気がするので言いません。でも、僕の想いをこめたつもりです」

 けれども、荒川の願いは現実とならなかった。
同じ月の29日、内山は“一見”晴れ晴れとした表情で引退会見を行ったのだった。

 願いは実現するとはかぎらない。でも、想いは確実に届く。

 われわれの取材を受ける山内涼太の横を、
小國以載は、爽やかな笑みを投げかけながら、通り抜けていった。

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