2005年度の全国高校サッカー選手権大会で滋賀県の新興勢力、野洲高校が初優勝したのを皮切りに、初優勝校が6年続いて誕生した。それまで名門校同士で頂点を争うことの多かった高校サッカーの勢力図が塗り替えられていった。 
 近年も、各都道府県で急速に力をつけてきた新興勢力が台頭し、各地で栄華を極めていた強豪校を苦しめるケースが増えている。今年も各地の強豪校を退け、全国大会への扉を初めて開けた高校があった。
 12月19日に紹介した近江高校に続き、今年のインターハイで初出場を勝ち取った神奈川県の東海大学付属相模高校を紹介し、彼らの取り組みをリポートする。
(出典:サッカークリニック2018年1月号)

取材・構成/吉田太郎
写真/吉田太郎

シュート練習は
1年間しなかった

 2017年6月17日に開催されたインターハイ神奈川県大会の準決勝は、勝者の全国大会出場が決まる代表決定戦だった。古豪の湘南工科大学附属高校(旧・相模工業大学附属高校)と対戦した東海大学付属相模高校は前半を2–0で折り返すと、試合終盤にはFWの山口泰輝のゴールでスコアを4–0とした。4点差となったあと、東海大相模の有馬信二・監督は何度も電光掲示板に目をやっていたと言う。
「『ああ、ここまできたんだな、このチームが』、『(神奈川県には)196チームもあるのにな』、『(11年に)東海大相模に来たときは203チームあって、200番に近いくらいのチームだったのに……』。そのような思いで電光掲示板を何度も見ていました」(有馬監督)
 試合は5–1で東海大相模が勝利。悲願の全国大会初出場を決めた同校は、翌日の日本大学藤沢高校戦も勝利して神奈川王者となった。
 東海大相模と言えば、甲子園の春夏優勝計4回の野球部や柔道部が特に有名だ。一方でサッカー部は、全国大会出場はおろか、インターハイと全国高校サッカー選手権大会では神奈川県大会の1次予選で敗退するケースがほとんど。01年度から10年度までの10年間で高校選手権の2次予選以上に進出したのは1度だけだった。
 その中で11年、同校はサッカー部の本格強化に乗り出した。監督として、兄弟校である福岡の強豪、東海大学付属第五高校(現在は東海大学付属福岡高校)の指導をしていた有馬監督に白羽の矢が立った。
 内示を受け、神奈川県相模原市に位置する東海大相模に業務の打ち合わせで初めて訪れた際、有馬監督はグラウンドを見て驚いたと言う。
「ゴールは錆びていてネットは破れていました。ラインも引かれていませんでした。(東海)大五とはまったく違いました」(有馬監督)
後日、公式戦を見ると、選手たちは一生懸命に戦ってはいたものの、「状況判断がまったくできておらず、時間がかかると思いました」というのが有馬監督の率直な印象だった。
 それでも、高校側の期待の中で強化を開始。有馬監督はまず、半面を使用することができた土のグラウンドで80人の部員とともにひたすらボールをつなぐ練習を実施した。
「『私はボールを蹴るよりもつなぎたいけれど、みんなはどう?』と聞いたら、選手たちも『つなぎたい』と答えました。その後、80人一緒に練習を始めました。AチームもBチームも関係ありません。シュートまでいけないので、つなぐ練習をずっとしていました。シュート練習は1年間しませんでした」(有馬監督)
 恩師である平清孝・監督(現在は総監督)の下、東海大五でプレーしていたときも、指導者になってからも、「つなぐサッカー」に接してきた有馬監督は、東海大相模でもボールを大事にすることを選手たちと追求した。
「ボールをつなぐには、ファーストタッチの場所やパス方向を考えないといけません。練習ではそれだけをやっていました」(有馬監督)
 13年3月には校内の土のグラウンドが全面人工芝となり、『松前記念総合グラウンド』が完成した。環境面が充実した中、継続してきたことの成果も徐々に出始め、監督就任当初に比べるとつないで相手の守備を崩す回数も増えた。しかし、力試しのために県外遠征に行くと、相手のハイプレスの前に余裕がなくなり、視野が狭くなってボールを失ってしまうシーンが多発した。桐光学園高校や桐蔭学園高校、日大藤沢などの強豪が集まる神奈川の中でもまだ押し込まれる展開の試合ばかりで、すぐには結果が出なかった。
 それでも、やることは変えなかった。
「『蹴って勝とう』とは思いませんでした。パワーでやられたり、高さでやられたりするのはよくありましたが、『それでやられるのは仕方がない』と言ってしまったらおしまいです。ですから、『負けてもいいからしっかり競ろう』などと言い、競ったあとに、ボールを拾って素早くつないだりすることを心がけました。『相手が空中戦で勝負してくるなら、俺たちは地上戦を挑もう。状況判断を速くしよう』、『練習でやっていることをピッチでどんどん出そう』と何度も言ってきました」(有馬監督)

画像: 2011年から東海大相模高校を率いる有馬信二・監督。今年の夏のインターハイ出場に導いた

2011年から東海大相模高校を率いる有馬信二・監督。今年の夏のインターハイ出場に導いた

神奈川の中学生の
レベルの高さを実感

 ボールをつなぐことにこだわり、レベルを上げてきた。より高いレベルで「つなぐサッカー」を表現できる選手たちが増えてきたことも躍進する上で大きかった。「当初は勧誘した選手が東海大相模に目を向けることはほとんどなかった」と有馬監督は言うが、熱心にスカウティングし、環境面が充実したこともあって、13年頃から入学して来る選手のレベルが飛躍的に向上した。タウンクラブの主力級が東海大相模に入学してくるようになった。
 今年、ガンバ大阪への加入内定が決まり、初の東海大相模出身Jリーガーとなった左サイドバックの山口竜弥は、タウンクラブの大豆戸フットボールクラブ出身だ。東海大相模で成長してプロ入りを果たした選手だ。
「自分を最も欲しいと言ってくれるところに行こうと思っていました。また、桐光学園といった強豪校に勝てば注目されるとも思いました。僕の代は中学生のときから注目された選手たちではありません。しかし、自分自身に自信を持っていて、『周りには負けていない』と思っている選手たちです」(山口)
 当初から変わらず、東海大相模の部員ほとんどが神奈川県内出身者だ。実は、本格強化をスタートさせたあと、有馬監督はサッカー部寮の建設の打診を断っている。サッカー部寮ができれば、伝手のある九州から選手を呼ぶことも可能だったはずだが、有馬監督は神奈川県の選手たちでチームをつくることを選んだ。それは何度か視察した際に、神奈川県内の中学生のレベルの高さを感じていたからだった。
「校長先生から『寮をつくりたいですか?』と聞かれたときに、『神奈川はレベルが高いのに、県外から試合に出られないかもしれない選手を呼んでくるよりも、神奈川の選手たちだけでやったほうが勝てます』と言いました。『じゃあ、勝てるんですね?』と聞かれ、『頑張ります』と答えました(笑)」(有馬監督) 
 県外の選手を加えなくても、神奈川の選手たちだけで十分に勝てる確信があった。その中でうまさと速さのある選手を加えながら年々レベルアップさせてきた。地道にこだわってきたつなぐサッカーに対する評判も高まり、他県の強豪校からの誘いを断って東海大相模に進学する選手までも出てきた。
 そして山口のように、「強豪を倒したい」という負けん気の強い選手たちがそろった17年は、昇格したばかりの神奈川県1部リーグの開幕戦で日大藤沢相手に充実した内容の試合をして2–1で勝利。「この子たちは今までとは違うと思いました」と言う有馬監督の手応え通り、リーグ戦で連勝を重ねたチームはインターハイの神奈川県大会でも、1点差ゲームなどもあった厳しい戦いを勝ち上がり、前述の代表決定戦で快勝を収めてインターハイ初出場を決めた。
 ちなみに、今回のインターハイ登録メンバーは17人。その中で県外出身者は、有馬監督の息子で福岡県生まれの2年生MF、有馬和希1人だけだ。宣言通りに神奈川の選手たちで勝てるチームになった。

画像: 神奈川の中学生の レベルの高さを実感

思いがけない
愛息からのサポート

 部員が170人まで増えた現在は、ゲーム形式も増えたが、練習でポゼッションにこだわる姿勢は変わらない。使用できる半面コート(もう半面はラグビー部が使用)は、B1チームとB2チームの練習後に、A1チームとA2チームが使用する。
 取材日も、4分の1サイズのコートでポゼッションを繰り返したあと、ゴールを設置した「8対8」を行なっていた。練習スペースが決して広大ではないため、スペースのない中であっても、相手を多くし、判断を速くしてボールをつなぐことに取り組んでいた。それだけに、見ている側が驚くほど、選手たちは正確なファーストタッチやアイディアのあるパスで狭いスペースを苦にすることなくボールを動かしていた。
 選手たちは、パス・スピード、ボールの置き場所、ポジショニングなど、ボールをつなぐための要素をどん欲に吸収してきた。特に、有馬監督が選手を褒めるのは相手の逆を突いたときだ。
「相手の逆を突くためには、ボール保持者と自分のポジション、そして相手のポジションも分かっていないといけません」(有馬監督)
 キャプテンでDFの水越陽也は、相手の逆を突くことも含めて、これまで磨いてきた武器が全国大会でも通用したと感じている。
「自分たちのサッカーは人とボールが動くサッカーです。今日もコーンを置いてポゼッションをしていましたが、細かいところでのパスは全国でも通用した部分です。インターハイ1回戦の大谷室蘭高校戦での決勝点も、人とボールが動いた中で『3人目の動き』によって奪ったゴールでした。その点は全国に見せられたと思います」(水越)
 取り組んできたことは間違っていなかった。そして、練習で誰よりも楽しそうにボールを蹴っていた有馬和希は「サッカーはボールをつながないと楽しくないと思っています。みんなはうまいのでボールも回りますし、自分のやりたいようにもできます。1点奪われても焦らずに全員が1つのことを目指してやれています。どんなに悪い状況でも、自分たちのサッカーを貫くのは自分たちのいいところでもあると思います。『やられても、自分たちのサッカーをすれば絶対にできる』と、インターハイの神奈川県予選で自信がつきましたし、全国でも自分たちのサッカーができました」と、つなぐサッカーへの自信を口にする。
 今後は、マークがさらに厳しくなる中でチームの歴史を築いていかなければいけない。水越は「夏に優勝していますので、『相模に勝つ』というチームも少なくないと思いますし、そういったチームに受けて立つだけではなく、向かっていかなければいけません」と話す。また、来季プロ入りする山口は「(プロへいくのが)最初となる僕が最も重要だと思いますし、試合に出ないといけません」と、次に続く選手たちのためにも活躍することを誓った。
 最後に、有馬監督は東海大相模が「全国の壁」を破れたもう一つの要因を語ってくれた。それは息子である和希の東海大相模進学だ。2年前、東海大相模の高校選手権神奈川県大会は7月の1次予選の3回戦で厚木東高校に1–3で敗れていた。当時、SC相模原U–15に所属し、その試合を観戦していた和希は帰宅した父に「俺が親父を男にする。相模に行く」と言ったのだという。
 何度か和希のプレーを見ていた有馬監督からすると、「来たら面白いだろうけれど、来ないと思っていました。東京の私立に行くと思っていたのです」と言う息子の決断だった。そして和希はすぐさま、仲の良かった選手や父が注目していた選手に「相模で一緒にサッカーをしよう」と声を掛け、有馬監督に「普通であれば、今の2年生はあそこまでそろいません」と言わせるほどのメンバーが入ってきた。
 その結果、和希やほかの2年生たちが主力となってインターハイ初出場を決めた。東海大相模入学後、誰よりも有馬監督に怒られてきた和希は、「グラウンドに来たら、父は監督です。けれど、家ではサッカーに対して『もっとこうしたい』などと言いますし、いい関係を築けていると思います」、そう父について語った。一方、父は「監督として、一選手の決断が大きかったです」と話す。
 指揮官の愛息の決断も、チームの歴史を変える1つの要因となったのだ。

監督コメント

「『相手が空中戦で勝負してくるなら、俺たちは地上戦を挑もう。状況判断を速くしよう』、
『練習でやっていることをピッチでどんどん出そう』と何度も言ってきました」
(有馬信二・監督)

画像: 監督コメント

This article is a sponsored article by
''.