ベースボール・マガジン社から発売された新日本プロレス・外道の自伝『To Be The 外道 "レヴェルが違う!”生き残り術』の構成を担当したフリーライター・高木圭介氏に、本著の読みどころとツボを解説していただいた。高木氏は1993年に東京スポーツ新聞社に入社以来、21年間にわたって主にプロレス担当記者&デスクとして活躍。93年夏、邪道&外道がW★INGに凱旋帰国して以来、WAR、FMW、新日本プロレスと、そのサバイバルの歩みを取材してきた。

文:高木圭介

 私、何を隠そう冬木軍の初代担当でもありました。冬木弘道が邪道&外道を引き込み、天龍源一郎に反旗を翻した伝説のWAR・大垣城ホール大会も間近で取材しておりました。そんな事件が起きたあの日ですが、電話報告を受けたデスクの反応は「バカッ!冬木でトップ原稿が作れるか?」と、けんもほろろ…。冬木軍結成のネタはサイドに回され、東スポのWAR原稿は、北尾光司との一騎打ちを控えたキング・ハクの記事だったことを思い出します。歴史の転換期とは案外そんなものです。

プロレス界の都市伝説
「邪道&外道の法則」

 さて、20世紀後半のこと。日本プロレス界では「邪道&外道の法則」というのが都市伝説的に、まことしやかに囁かれておりました。それは「邪道&外道が去った団体はすぐに消滅する」というもの。当時の邪道&外道が絶対的な集客力を誇っていたワケでもないのに、不思議と2人に去られた団体は消滅してしまうという法則です。
 
 2人のプロレス入りするきっかけとなったTPG(たけしプロレス軍団)は発進すらしませんでしたが、ユニバーサル、W★ING、WAR、FMWと、見事にこの法則に従い消滅しました。2001年から邪道&外道が本格的に新日本プロレスを主戦場とした時、失礼ながら「ついに新日本もか…」と心配してしまったものです。
 
 意外と活動歴が短かったヤマバブラザーズ(星野勘太郎&山本小鉄)も極道コンビ(グレート小鹿&大熊元司)のなんのその。邪道&外道は屈指の息の長さを誇る名物タッグですが、21世紀初頭までは「終わりの始まり」を告げる記号でもあったのです。本著は、各団体を渡り歩いた平成マット界の生き証人であり、新日本プロレスの頭脳ともいえる外道選手の視点から綴られたプロレス史としても楽しめる一冊です。

 現在では想像もできぬほど、日本プロレス、国際プロレス、新日本プロレス、全日本プロレス、そしてUWFでデビューしていない選手が「差別」され続けた時代がありました。そんな時代を逞しくもしたたかに生き抜いてきた外道選手ならではの分析眼にはうならされます。

実は国際プロレス人脈で
構成されている?

  テリー・ファンクをきっかけにプロレスにのめり込んだ外道少年が、女子プロレスと並び、まったく興味すら示さなかった存在が国際プロレスです。そんな彼がプロレスラーとして成長していく過程で、大きなポイントとなったのが、TPGのコーチであったアポロ菅原であり、WAR時代の恩人である阿修羅・原であり、冬木軍時代に徹底的に「プロレスの頭脳」を叩き込んだ冬木弘道と国際プロレス人脈であるのも不思議な縁です。またプロレスラーとしてのスピリットを叩き込まれたのが、全日本女子プロレスの松永国松社長(ジミー加山レフェリー)だったりと、つくづくプロレスラーとは、自分の意志とは無関係な偶然の出会い、別れに作用されつつ完成していくものだと感服します。

画像: 実は国際プロレス人脈で 構成されている?

レインメーカーの
プロトタイプはあの男?

 ブリーフブラザーズに代表されるFMWのお笑い路線に腐り、廃業すら考えていた不遇の時期に、奮起させてくれた存在が「尊敬する後輩」田中将斗であったり、後にオカダ・カズチカをレインメーカーとして大ブレイクさせていくための実験、そのプロトタイプとなったのがC.T.U黎明期の竹村豪氏にあったことなど、意外な歴史的事実にも気づかされます。

 もうすぐキャリア30年。驚異の経験値を持つ外道選手の自伝を読むことで、改めて、単純なようで難解、緻密なようでテキトーでもある不可解極まりないジャンル・プロレスの魅力に気づかされます。外道こそが正道であり王道…そんな価値の混迷すら招く一冊です。 

 ぜひご一読を! 

“レインメーカー”誕生の瞬間、
新日本プロレスV字回復の真実、
スターレスラーとの邂逅、
激動のプロレス史を目撃してきた男、
外道の知られざる半生と哲学。

『To Be The 外道 “レヴェルが違う!”生き残り術』
外道 著
定価(本体1,700円+税)
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