1986年から長きにわたって日本文理高を率いた大井道夫氏が2017年夏の甲子園を最後にユニフォームを脱いだ。就任当時、弱小だったチームを手塩にかけて育て上げて甲子園に出場すること春5度、夏9度。2009年夏には新潟勢最高成績となる準優勝を成し遂げた。

甲子園準Vに勝る指導人生の喜び

 指導人生のハイライトは2009年夏の甲子園。5度目の出場で夏初勝利を挙げると、新潟県勢として初めてベスト4に進出。勢いは止まらず、そのカベも突き破り決勝戦までコマを進めた。全国制覇10度を誇る中京大中京(愛知)との決勝戦では、さすがに力の差を見せられ、8回を終えた時点で4対10の劣勢。しかし、9回二死走者なしから4長短打と3四死球で1点差まで迫った。

「あの代は力がないと見ていた生徒たち。私が一番信じられない思いでいたと思うよ。決勝戦の9回の攻撃は、どんなによくできたドラマでもつくり得るものじゃないよ。ああいうゲームができたことは私の一生の宝。それは生徒たちに感謝する」

画像: 2009年夏の甲子園で新潟勢最高成績となる準優勝

2009年夏の甲子園で新潟勢最高成績となる準優勝

 指導人生でも忘れることができない出来事は、貫いてきた指導方針を聞けば、ひも解くことができるかもしれない。

「私は生徒たちに『感謝』の気持ちを忘れないようにと指導してきた。野球ができるのは誰のおかげか、そのために親がどんな苦労しているか。そうすればグラブやバットを粗末に扱えるはずがない。それはすべてに通じるものです。そうしたことが分からないのであれば、私は野球をやる価値がないと思う。プロ野球じゃない高校野球なんだから、それだけは常に頭に入れて取り組まないと野球をやっていることがマイナスになると思うんだ」

 教師ではなかった大井だが、高校野球を教育ととらえて長く指導に当たってきた。「感謝の気持ちをはじめ、あいさつ、礼儀作法、生きていく上で大事なことを教えてやるのが高校生を預かる指導者の役目」と語り、「それが疎かになるようでは野球をやる価値なんてない」とも言う。

「甲子園は目標であって、目的は人間形成。人よりうまく野球ができても、甲子園に行ったとしても、偉くもなんともないんだから」

 うれしかった出来事がある。雪が積もったある日、グラウンド近隣の住宅地の町会長が菓子折りを持ってあいさつにやって来たという。

「ウチの生徒が雪かきをやってくれたとお礼に来てくれた。生徒たちは普段の練習でうるさくしたり、ボールが飛び込んだりすることもある地域の方に感謝の気持ちを表したかったんだろうな」

 甲子園とはまったく違う価値の中に、大井が指導人生の喜びを感じた瞬間だった。

おおい・みちお/1941年9月30日生まれ。栃木県出身。宇都宮工高では3年夏(59年)に投手として甲子園準優勝。早稲田大に進学後は内・外野手として活躍。社会人チーム・丸井でもプレーした。引退後は家業を継ぐ傍ら、宇都宮工高コーチを務める。86年、新潟文理高(現・日本文理高)監督に就任。97年夏に同校初の甲子園出場に導く。2006年センバツでは新潟勢として春初勝利を挙げ、ベスト8に進出した。09年夏は新潟勢最高成績となる準優勝。14年夏にもベスト4に進出。春5回(2006、07、09、11、14年)、夏9回(1997、2002、04、06、09、11、13、14、17年)、甲子園に出場。17年夏の甲子園後、総監督に退いた。

This article is a sponsored article by
''.