1986年から長きにわたって日本文理高を率いた大井道夫氏が2017年夏の甲子園を最後にユニフォームを脱いだ。就任当時、弱小だったチームを手塩にかけて育て上げて甲子園に出場すること春5度、夏9度。2009年夏には新潟勢最高成績となる準優勝を成し遂げた。

ラストタクト
国体でのサプライズ

 2017年夏の甲子園が最後の指揮になるはずだったが、10月に愛媛で開催された国体でもタクトを振った。初戦(2回戦)で津田学園(三重)に2対4。「甲子園でユニフォームを脱ぐのかと思ったら国体まで連れてきてもらえた。生徒たちに感謝です」。ラストゲームを晴れやかなものにするサプライズもあった。

「国体では今治西(愛媛)の大野(康哉)監督が国体に出場したチームの監督たちを自宅に招いてくださいました。集まった皆さん一人ひとりにもメッセージをいただきました。その中で早稲田の後輩でもある仙台育英の佐々木(順一朗)元監督が『大井さんはこの後3年間、総監督をやると言っていますけど、その後また監督をやります』なんて言うものだから、『冗談じゃないよ』ってみんなで大笑いしたんだ。有名な監督さんたちも集まって、楽しい時間を過ごせた。ありがたかった。野球っていいもんだなって心から思うね」

 新チーム移行の試合は、スタンドで観戦している。監督時代は冷静に戦況を眺めることができていたが、「スタンドから見ていると手に汗を握っているの。ピンチになってもチャンスになっても『何とかしてくれ』って力が入っているんだ」という自身に、寂しさを感じることも確かだ。

 しかし、大井の手を放れたチームは、秋の新潟大会で優勝し、北信越大会でベスト8に進んだ。今春のセンバツ出場には一歩届かないと見られるが、バトンを渡した鈴木崇監督の早速の成果に、「良いスタートを切れたんじゃないか」と今後にも期待を寄せる。

 宇都宮工でエースとして準優勝し、日本文理を率いて甲子園で終わった野球人生を「幸せ者だよ」の一言で締めくくった。

画像: 新チームからの戦いはスタンドから温かい視線を送っている

新チームからの戦いはスタンドから温かい視線を送っている

おおい・みちお/1941年9月30日生まれ。栃木県出身。宇都宮工高では3年夏(59年)に投手として甲子園準優勝。早稲田大に進学後は内・外野手として活躍。社会人チーム・丸井でもプレーした。引退後は家業を継ぐ傍ら、宇都宮工高コーチを務める。86年、新潟文理高(現・日本文理高)監督に就任。97年夏に同校初の甲子園出場に導く。2006年センバツでは新潟勢として春初勝利を挙げ、ベスト8に進出した。09年夏は新潟勢最高成績となる準優勝。14年夏にもベスト4に進出。春5回(2006、07、09、11、14年)、夏9回(1997、2002、04、06、09、11、13、14、17年)、甲子園に出場。17年夏の甲子園後、総監督に退いた。

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