連載第4回は、1980~90年代に活躍したK・エゲルセギと現代の「鉄の女」K・ホズーという、ハンガリーが生んだスーパーウーマン2人の背泳ぎを比較します。

伝説の「子鼠」対「鉄の女」 200m背泳ぎ対決

 1988年ソウル五輪に彗星のように現れた14歳の少女。その可愛らしい素顔と、名前のハンガリー読みが現地語の「子鼠」を指す単語と音が似ていることから「Little mouse」のニックネームがつき、ハンガリー国内のみならず国際オリンピック委員会から受けたものも含めると20以上の賞を受賞するなど、多大なる功績を残したクリスチーナ・エゲルゼギ。彼女は、ソウルで勝った3年後の1991年、アテネで行われた欧州選手権で2分6秒62の世界新を樹立。エゲルゼギが17歳で樹立したこの記録は、なんと2008年にジンバブエのカースティー・コベントリーが破るまで、17年間も残っていました。この種目の五輪3連覇をはじめ、400m個人メドレーも含め、3大会合計で金5、銀銅を1個ずつの7つのメダルを獲得した、伝説の万能スイマーのひとりです。

 対するは、現代をときめく万能スイマーで、背泳ぎは主に100mでの良績が多いものの、2017年の世界選手権では200mで銀メダルを獲得した、「Iron Lady」ことカティンカ・ホズー。2バックと言えばエミリー・シーボーム(豪州)ですが、ここはハンガリー対決が見たいので(笑)、あえてご指名。100mが強いとはいえ、ホズーの2バックのベストは世界選手権での2分5秒85。ここで同国の先輩と戦わせるには、文句のない実績と言えるでしょう。

 ここでは、動画が残されているものの中から、エゲルゼギは1988年ソウル五輪と、1995年ヨーロッパ選手権。ホズーは2015年、2017年世界選手権(2017年はFINA-TVの動画より)の映像と本誌のバックナンバーにある試合結果より、彼女らの成長過程を含めて、泳ぎを観察してみました(文末にURLあり)。

画像: クリスチナ・エゲルセギ(Krisztina Egerszegi)●1974年8月16日生まれ、ハンガリー・ブダペスト出身。ハンガリーの競泳史に名を刻む伝説的スイマー。1988年ソウル五輪では200m背泳ぎで金メダル、100m背泳ぎで銀メダルを獲得。1992年バルセロナ五輪では、100、200m背泳ぎ、400m個人メドレーで3冠、続く1996年アトランタ五輪では400m個人メドレーで銅メダルを獲得した 写真:Getty Images

クリスチナ・エゲルセギ(Krisztina Egerszegi)●1974年8月16日生まれ、ハンガリー・ブダペスト出身。ハンガリーの競泳史に名を刻む伝説的スイマー。1988年ソウル五輪では200m背泳ぎで金メダル、100m背泳ぎで銀メダルを獲得。1992年バルセロナ五輪では、100、200m背泳ぎ、400m個人メドレーで3冠、続く1996年アトランタ五輪では400m個人メドレーで銅メダルを獲得した
写真:Getty Images

画像: カティンカ・ホズー(Katinka Hosszú)●1989年5月3日生まれ、ハンガリー・バラニャ生まれ。現役最強の女子スイマー。「鉄の女」の異名を取る万能型選手で、200,400m個人メドレー、背泳ぎで世界大会では頂点に。2016年リオ五輪では個人メドレー、背泳ぎともに2種目ずつ制し4冠に輝いたほか、2013、15、17年世界選手権では個人メドレー2冠3連覇中である。 写真:Getty Images

カティンカ・ホズー(Katinka Hosszú)●1989年5月3日生まれ、ハンガリー・バラニャ生まれ。現役最強の女子スイマー。「鉄の女」の異名を取る万能型選手で、200,400m個人メドレー、背泳ぎで世界大会では頂点に。2016年リオ五輪では個人メドレー、背泳ぎともに2種目ずつ制し4冠に輝いたほか、2013、15、17年世界選手権では個人メドレー2冠3連覇中である。
写真:Getty Images

画像: 図1 エゲルゼギとホズーの、各区間のスプリットタイムの変化 (縦軸は秒、横軸は1=スタートから50m、2=50~100m、100~150m、150~200mの区間)

図1 エゲルゼギとホズーの、各区間のスプリットタイムの変化
(縦軸は秒、横軸は1=スタートから50m、2=50~100m、100~150m、150~200mの区間)

画像: 図2 エゲルゼギとホズーの、各区間のストローク数の変化 (縦軸はストローク数、横軸は1=スタートから50m、2=50~100m、100~150m、150~200mの区間)

図2 エゲルゼギとホズーの、各区間のストローク数の変化
(縦軸はストローク数、横軸は1=スタートから50m、2=50~100m、100~150m、150~200mの区間)

画像: 図3 エゲルゼギとホズーの、各区間のストロークタイム(ピッチ)の変化 (縦軸は秒、横軸は1=スタートから50m、2=50~100m、100~150m、150~200mの区間)

図3 エゲルゼギとホズーの、各区間のストロークタイム(ピッチ)の変化
(縦軸は秒、横軸は1=スタートから50m、2=50~100m、100~150m、150~200mの区間)

対照的な2人のレーススタイル

 彼女らの泳ぎを比較すると、展開的には後半型のエゲルゼギと、前半から果敢に出るホズーのレーススタイルの違いが分かります。そして、一目でわかるのはピッチの差で、ストローク数も大きく違います。ホズーは割と、スタート、ターン後にバサロキックを多用しますので、かなりストローク数が多く、極端な「ピッチ依存型」であることがわかりますね(図2)。1988年当時は、エゲルゼギもピッチの速さや軽快さが抜きん出ている印象でしたが、このようにホズーと比べると、意外と丁寧に泳いでいたのかな? と思えてきます。

 次に、エゲルゼギがトップに立ってから、自身の7年間の泳ぎの変化を見てみます。  

画像: 図4 エゲルゼギの1988年ソウル五輪と1995年ヨーロッパ選手権の、各区間のストローク数の比較 (縦軸はストローク回数、横軸は1=スタートから50m、2=50~100m、100~150m、150~200mの区間)

図4 エゲルゼギの1988年ソウル五輪と1995年ヨーロッパ選手権の、各区間のストローク数の比較
(縦軸はストローク回数、横軸は1=スタートから50m、2=50~100m、100~150m、150~200mの区間)

画像: 図5 エゲルゼギの1988年ソウル五輪と1995年ヨーロッパ選手権における各区間のストロークタイムの比較(縦軸は秒、横軸は1=スタートから50m、2=50~100m、100~150m、150~200mの区間)

図5 エゲルゼギの1988年ソウル五輪と1995年ヨーロッパ選手権における各区間のストロークタイムの比較(縦軸は秒、横軸は1=スタートから50m、2=50~100m、100~150m、150~200mの区間)

画像: 成長期をへてピッチやストローク数の変化が見られるエゲルセギ 写真:Getty Images

成長期をへてピッチやストローク数の変化が見られるエゲルセギ
写真:Getty Images

 エゲルゼギが世界のトップを走っている間、彼女は主要大会ではほぼ2分7秒台を維持して泳いでいました。しかし、ストローク数がかなり減っているのがわかります。ピッチを見てみると、1988年当時は後半にピッチを上げていたのに対し、95年ではピッチが少し遅くなっています。恐らく、成長期が入ったことで腕の長さや脚の長さが伸び、なおかつキャッチのエルボーアップでしっかりと水を捉えるフォームが故に、ピッチに頼らず、じっくり力強く水を押して泳ぐフォームに変化してきたのだと、推察されます。

 1995年の動画では、彼女の泳ぎを水底から映している場面がありますが、キャッチのエルボーアップが美しすぎるくらい奇麗です。そして、フィニッシュまでの手の軌跡が、横から見るとS字を描くようなパターンであることがわかります。スカリングの原理を背泳ぎにも応用し、1ストロークで水を押す距離を長くしながら、ストローク中の仕事量を増やし、長い間その泳速度を保ち続けたということになります。

 エゲルゼギのもう一つの特徴は、頭の位置が高く、キックの推進力がかなり高いことです。当時は、背泳ぎはクロール同様、水面に頭が浮いている方が良いとされていました。頭を高くすることで、蹴り下ろしを力強くすることができると考えられていたためです。エゲルゼギの泳ぎは、キックの足首の柔らかさがすぐに目に留まります。この当時、頭が高くても速い選手は、ほぼ全員キックが強かったのですが、彼女の足部での水の捉え・ひっかかりはかなり強く、それが故に、安易にピッチを上げられなかったのかもしれません。

画像: 図6 ホズーの2015年と2017年世界選手権の、各区間のストローク数の比較 (縦軸はストローク回数、横軸は1=スタートから50m、2=50~100m、100~150m、150~200mの区間)

図6 ホズーの2015年と2017年世界選手権の、各区間のストローク数の比較
(縦軸はストローク回数、横軸は1=スタートから50m、2=50~100m、100~150m、150~200mの区間)

画像: 図7 ホズーの2015年と2017年世界選手権の、各区間のストロークタイムの比較 (縦軸は秒、横軸は1=スタートから50m、2=50~100m、100~150m、150~200mの区間)

図7 ホズーの2015年と2017年世界選手権の、各区間のストロークタイムの比較
(縦軸は秒、横軸は1=スタートから50m、2=50~100m、100~150m、150~200mの区間)

 実は、キャッチのエルボーアップ動作については、ホズーとエゲルゼギは同じような位置で、なおかつ同じような肘の角度、上肢全体の型でキャッチしています。これも、水中映像で確認できます。

 しかし、ホズーはエゲルゼギと異なり、ピッチを速くしてストローク数を増やし、タイムを上げてきています。特に2017年にはラスト50mのピッチを、スタート直後のピッチと変わらないくらいいまで、意図的に上げている様子が、見てとれます。

 同じようにキャッチの水の捉えがうまい両者ですが、エゲルゼギはその後のストロークに磨きをかけ、なおかつ強いキックを活かしつつ王座をキープしていたのに対し、ホズーはキャッチからプルの加速回数を増やして、タイムを上げてきているようです。

画像: キャッチからプルの加速回数を増やしタイムを上げたと推測できるホズー 写真:Getty Images

キャッチからプルの加速回数を増やしタイムを上げたと推測できるホズー
写真:Getty Images

継承されるハンガリアンテクニックの真髄

 さて、この変化の背景には何があるのでしょうか?

 エゲルゼギの全盛期は、世界選手権と五輪は100m以上の距離しかなく、ソウル五輪で50m自由形がようやく導入されたくらいでした。また、ワールドカップシリーズに若干の賞金システムはありましたが、現在ほどの額でなく、今よりかなり小規模でした。しかしホズーがデビューする頃には、世界選手権で特種目の50mが導入され、短距離のタイトルが格段に増えました。さらにワールドカップも各地域ラウンドが導入され、試合数が大幅に増加しました。万能スイマーにとって、これはチャレンジしない手はありませんよね?(笑)

 そんな中で、現代はスピード重視の強化が主流となり、ホズーのような万能スイマーが、筋力を強化し、短い距離で発揮できるスピードを、4個メまで持続させるようになってきたと考えられます。そのベースにあるのは「スピード」で、それを賄うのが「ピッチ」ですから、自然とそういう泳ぎ方やレース展開になるのでしょうね。

 そうは言っても、彼女らをはじめ、タマス・ダルニュイやノルベルト・ロッサ、ダニエル・ギュルタといったハンガリーのレジェンドたちは、皆キャッチのポジションが高いことは共通項であり、ハンガリーの伝統とも言えるのではないでしょうか。強化法は変わっても泳ぎの本質は変えないという、ハンガリアンテクニックの哲学が感じられる、そんな2人の泳ぎでした。

文◎野口智博(日本大学文理学部教授)

●参考動画

エゲルゼギ ソウル五輪
https://www.youtube.com/watch?v=ynEa22k2qiQ&index=1&list=PLv4g_Lrh40u8fpB7r3Kf-9yFSfbMukhhQ

エゲルゼギ ヨーロッパ選手権
https://www.youtube.com/watch?v=WsxdA1l_kW4&index=2&list=PLv4g_Lrh40u8fpB7r3Kf-9yFSfbMukhhQ

ホズー 2016年欧州選手権
https://www.youtube.com/watch?v=-6E9yf6Xqgk&index=4&list=PLv4g_Lrh40u8fpB7r3Kf-9yFSfbMukhhQ

ホズー 2017年世界選手権は「FINA TV」
https://www.finatv.live にて視聴

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