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2020-11-02

【NFL】スティーラーズ開幕7連勝 マイク・トムリンが最多勝黒人HCに

NFL史上最多勝の黒人ヘッドコーチとなったスティーラーズのマイク・トムリン=photo by Getty Images

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 米プロフットボールNFLは、現地11月1日、第8週のゲームが行われ、ここまで6戦全勝のピッツバーグ・スティーラーズが、5勝1敗のボルティモア・レイブンズを激戦の末、28-24で破って、開幕7連勝とした。スティーラーズのマイク・トムリンヘッドコーチ(HC)は、レギュラーシーズン通算140勝(74敗1分)として、NFL史上最多勝の黒人HCとなった。


 これまでの記録は、バッカニアーズ、コルツでHCを歴任したトニー・ダンジー氏の139勝(68敗)だった。バッカニアーズ時代に部下だったトムリンHCは、いわばダンジー門下。ダンジー氏はTwitterで「Fantastic!  Congratulations Mike」とつぶやいて、弟子のトムリンHCを祝福した。

 トムリンHCは米バージニア州で1972年3月に生まれた。名門ウィリアム&メアリー大学を卒業後、フットボールコーチの道に進み、複数のカレッジで経験を積んだ。まだ20代だった2001年のシーズンに、バッカニアーズのDBコーチとなって、当時のダンジーHCの下で働いた。2006年にはバイキングスでディフェンスコーディネーターとなって、リーグ1位となるランディフェンスを構築。その手腕をスティーラーズフロントが認めて、勇退したビル・カウワーHCの後継者となった。34歳10カ月での就任だった。

 1年目は10勝6敗でプレーオフ敗退となったが、就任2年目の2008年シーズンには、DBトロイ・ポラマル、LBジェームズ・ハリソンらの強力ディフェンスと、QBベン・ロスリスバーガーを中心としたクラッチなオフェンスで、レギュラーシーズン12勝4敗で地区優勝。スーパーボウルでは、カーディナルスを劇的な逆転で破った。トムリンは36歳11カ月で、史上最年少のスーパーボウル勝利HCとなった。その後2010年シーズンにもスーパーボウルに出場(パッカーズに敗退)した。

 30代で栄光を積み重ねたトムリンHCだが、AFCでは厳しい戦いが続いた。当時のAFCは、ペイトン・マニング、トム・ブレイデイという2人の偉大なQBが覇権を争っていた時代だ。そして地区内には、強力なライバル、レイブンズが常に牙を研いでいた。2010年代に入って、WRアントニオ・ブラウン、RBレビオン・ベルというチーム史に残る強力なオフェンスプレーヤーが台頭した一方で、DBポラマルが衰え引退した後のディフェンスが低迷し、ポストシーズンを勝ち抜けなかった。


 過去2シーズンはプレーオフにも出場できなかったトムリンHCだが、今季は7連勝と好調だ。チームの看板、ディフェンスをようやく立て直し、エースQBベン・ロスリスバーガーが右ひじの手術を経て復活、存在感を見せている。久々にスーパーボウル出場のチャンスが見えてきた。

 スティーラーズは、HCを解雇しないことで有名だ。過去52シーズンで指揮官が3人(チャック・ノール、ビル・カウワー)しかいないのは、NFLだけでなく、MLBやNBA,NHLを含めた中でも最も少ない。ノール氏は23シーズン、カウワー氏は15シーズン務めた後の勇退だった。

 今季でスティーラーズ14年目のトムリンHCは48歳、コーチとしては働き盛りだ。過去13年、浮き沈みはあったものの、負け越しシーズンは1度もなく、プレーオフ出場と二桁勝利シーズン8回という実績を残してきた。師のダンジー氏を超えた後、さらに多数の勝利を積み上げていくことになりそうだ。
 
      ◇

 2007年1月、勇退したカウワー氏の後継HCとして、スティーラーズの地元で有力視されていたのが、OL出身のラス・グリムアシスタントHCだった。しかし、当時のスティーラーズのオーナー、ダニエル・ルーニー氏は、NFLで人種的マイノリティーの登用に積極的で、HCの候補者には必ずマイノリティーを含めなければならないという「ルーニールール」の提唱者でもあった。

 スティーラーズが、HCの最終候補に選んだのが、トムリンと、プエルトリコ系のロン・リベラ(現ワシントン・フットボールチームHC)。2人ともマイノリティーだった。共にHC未経験の2人を選んだスティーラーズフロントの眼力の確かさは、トムリンとリベラが、後に指揮官としてチームをそれぞれスーパーボウルまで導いたことで明らかになった。

スティーラーズのマイク・トムリンHC=photo by Getty Images
スティーラーズのマイク・トムリンHC=photo by Getty Images

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 ダンジー氏もスティーラーズとは縁が深い。ミネソタ大でQBとして活躍したダンジー氏は、1977年、スティラーズにドラフト外で入団。その後DBにコンバートされていたが、選手としては目が出ずに引退。スティーラーズのノールHCにコーチとして呼び戻され、1984年には28歳の若さでスティーラーズのディフェンスコーディネーターとなった才能にあふれたコーチだった。
トニー・ダンジー氏=photo by Getty Images
トニー・ダンジー氏=photo by Getty Images

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 ダンジー氏、トムリンHCは共に日本ともかかわりがある。

 ダンジー氏は1977年1月に東京・国立競技場で開催された、全米大学オールスターゲーム「第2回ジャパンボウル」の来日メンバーだった。リッキー・ベル(南カリフォルニア大)、トニー・ドーセット(ピッツバーグ大)という、その年のNFLドラフトの全体1位、2位で指名されるRBが揃って来日し話題となった。ダンジー氏は東軍QBだったが、西軍には、ガンと闘病中ながら来日し、帰国後に21歳で世を去ったQBジョー・ロス(カリフォルニア大)もいた。
 トムリンHCは、ウィリアム&メアリー大では大型WRとして活躍した。1993年1月の「第5回エプソンアイビーボウル」で、篠竹幹夫監督が率いたオール日本大学と東京ドームで対戦した来日チームの一員だったという。

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