close

2021-12-29

【NFL】ジョン・マデン氏死去 85歳 レイダースでスーパーボウル優勝、テレビ解説者として革命、人気ゲームのタイトルにも

2006年、「プロフットボール栄誉の殿堂」入りを果たしたジョン・マデン=photo by Getty images

全ての画像を見る

米プロフットボール・NFLのオークランド・レイダース(現ラスベガス)を、ヘッドコーチ(HC)として初のスーパーボウル優勝に導き、長年にわたり、テレビ解説者としても絶大な人気を誇った名将ジョン・マデンが、現地12月28日に死去した。85歳だった。公式サイト、NFL.comが速報し、レイダースも球団公式サイトで死を悼んだ。(写真はすべてGetty Images)


【スマホでも、PCでもOK】NFLプレーオフ、全米カレッジ決勝 全部ここで見られます

 マデンはレイダースで10シーズン(1969~1978年)にわたりHCを務め、第11回スーパーボウル(1976年シーズン)で優勝を果たした。監督退任後は、2009年までNFL中継の解説者を務めた。2006年には、プロフットボール栄誉の殿堂入りを果たした。また、1988年に第1作が発売された人気ゲームシリーズ「Madden NFL(マデンNFL)」の監修者としても知られている。4大テレビネットワーク、CBS(1979~1993年)、FOX(1994~2001年)、ABC(2002~2005年)、NBC(2006~2008年)のすべてで解説者として活躍した。2008年のNFLシーズンを最後に、テレビ解説から引退した。軽妙なトークと、本質をズバリと突く解説は人気となり、さまざまな商品のテレビCMにも登場した。

NFLのロジャー・グッデルコミッショナーのメッセージ

「NFLファミリーを代表して、バージニア夫人、(2人の息子)マイク、ジョーとそのご家族に哀悼の意を表します。


我々は皆、オークランド・レイダースの殿堂入りコーチであり、あらゆる主要なテレビネットワークで活躍したブロードキャスターとして(マデンを)知っていますが、何よりも彼は献身的な夫であり、父であり、祖父でもありました。

コーチ・マデン以上にフットボールを愛した人はいない。彼はフットボールそのものでした。彼は、私や他の多くの人々にとって、信じられないほどの助言者でした。ジョン・マデンは二度と存在しないし、我々は彼がフットボールとNFLを今日ある姿にしてくれたことに永遠に恩義を感じるでしょう。」

レイダースのメッセージ

「レイダース・ファミリーは、伝説的人物であるジョン・マデン氏の死を深く悲しんでいます。
プロフットボールの発展と人気に、マデンコーチほど大きな影響を与えた人物はいません。

32歳という若さでアル・デイビスにレイダーズのヘッドコーチとして雇われたマデンは、10シーズンにわたってシルバー&ブラックのコーチを務め、レギュラーシーズンで103勝32敗7分という素晴らしい成績を収めました。1969年から78年までの間、レイダーズは各シーズンで勝利を収め、7つのディビジョンタイトルを獲得し、8回のプレーオフに出場した。1976年、マデンはレイダーズを13勝1敗の好成績に導き、スーパーボウルXIでミネソタ・バイキングスを32-14で破り、プロフットボールの世界選手権に初勝利しました。

プロフットボールの人気と影響力が高まるにつれ、マデンと彼のシルバー&ブラックチームは、「シー・オブ・ハンズ」、「イマキュレート・レセプション」、「ホーリー・ローラー」、「ゴースト・トゥ・ザ・ポスト」など、AFLやNFLの重要な場面で重要な役割を果たしました。マデン氏は、放送ブースでもフットボールのアイコンとしての役割を確立し、CBS、FOX、ABC、NBCの4つの主要テレビネットワークすべてで主要な解説者として活躍しました。また、「マンデーナイトフットボール」での活躍や、毎年恒例の「オール・マデン・チーム」の創設、ビデオゲーム「マデンNFL」シリーズでの活躍により、マデンの名はプロフットボールの代名詞となりました。

2006年、プロフットボールの殿堂入り式典で、マデン氏を紹介したアル・デイビスは、スピーチの冒頭で「素晴らしいコーチ。忠実で信頼できる友人。A Raider.」と称えました。 レイダー・ネーションの思いと祈りは、バージニア、ジョセフ、マイケル、そしてマデンの家族全員に向けられています。」

【評伝】偉大なるNFLの伝道者、フットボールの面白さ伝え続けた

 ジョン・マデンは1936年4月11日生まれ。ミネソタ州で生まれたが、父の仕事の関係でカリフォルニア州に移った。カルポリー(カリフォルニア工科州立大学)でOLとしてフットボールをプレーし、1958年にNFLイーグルスにドラフトされたが、キャンプ中の負傷で選手生活を終えた。

 1960年からコミュニティー・カレッジ(2年制短大)でコーチを始め、64年から3年間はサンディエゴ州立大でディフェンスコーディネーターを務めた。その後レイダースに加入しLBコーチを2年務めた後、1969年2月に当時史上最年少の、32歳10カ月で、HCに昇格した。

 マデンはHC1年目で、いきなり12勝1敗1分(当時は14試合制)でAFLのチャンピオンシップまで進出。その後も毎年のようにプレーオフに進出した。しかし、スティーラーズやドルフィンズに阻まれて、なかなかスーパーボウルまでたどり着けなかった。就任以来、7シーズンで5回チャンピオンシップに出場し、すべてで敗れた。

 特にスティーラーズが最大の敵だった。1972年12月には、今も語り継がれるスティーラーズRBハリスの「イマキュレート・レセプション(聖母受胎キャッチ)」で、ディビジョナルラウンドで敗退した。1974、75年シーズンは、2年連続でチャンピオンシップで敗れた。
 1976年のシーズン、マデンのレイダースは「3度目の正直」で、スーパーボウル3連覇を狙っていたスティーラーズに24-7で完勝。勢いをかって、スーパーボウルではバイキングスを撃破して、NFLの頂点にたった。40歳でのスーパーボウル制覇は当時史上最年少だった。
当時史上最年少の40歳でスーパーボウル優勝HCとなった名将ジョン・マデン=photo by Getty Images

 マデンは、その後42歳の若さで、レイダースのHCを退いた。通算成績はレギュラーシーズン103勝32敗7分。ポストシーズンまで含めると112勝39敗7分で、勝率.742はNFL史上2位。マデンは、この業績をトム・ランドリー(カウボーイズ)、ドン・シューラ(ドルフィンズ)、チャック・ノール(スティーラーズ)、バド・グラント(バイキングス)など、歴史上の名コーチを向こうに回して戦い続け、達成したことも忘れてはならない。

 しかし、マデンの真骨頂はこの後の人生だった。解説者としてテレビ中継に革命を起こした。実況中に「ワム!」「ドインク!」「フーシュ!」「ブーーン!」と言った擬音を発し、現場の臨場感を伝えた。その一方で、テレストレーターと呼ばれる電子タッチペンを使って、テレビ画面上に白線でプレーを図示し、プレーがどのように展開されたのか、あるいはされるべきだったのか、解説した。今ではすべてのスポーツ中継で当たり前に使われている技術は、マデンの発案によって始まったのだった。

 日本のアメフト中継でも当然のように表示される、テレビ画面上のバーチャルなファーストダウンの黄色いラインは、マデンの発案でFOXが始めたものだった。

 自分が現場で取材することにこだわり、対戦するチームの、その週の練習に自ら足を運んだ。「テレビ放送のチームは、実際には練習を見に行かない」という慣習を壊したのもマデンだったという。

 アナウンサーのパット・サマーオールとの名コンビで、スーパーボウルの実況を8回担当した。

 放送業界のアカデミー賞と呼ばれるエミー賞のスポーツ部門を16回も受賞、うち15回が最優秀スポーツアナリストとしてだった。
=photo by Getty Images

 1988年には、米国のEAスポーツ/エレクトロニック・アーツ社から発売されたフットボール・ゲーム「マッデンNFL」シリーズに、自身として登場した。現在に至るまで34年間販売が続けられ、PCや各種ゲーム機、モバイル版も含めたシリーズ総タイトルは40以上。総販売本数は2億5千万本を超えているという。常にベストセラーとなっており、米国のみならず海外でも人気が高い。NFL選手同士の対戦をテーマにしたテレビ番組も制作されているほどだ。

 マデンは、テレビの世界から13年前に引退したが、若年層にはこのゲームシリーズの顔として認知されている。

 米国人なのに、大の飛行機嫌いとして知られ、中継局は専用列車や、専用バスを用意した。専用バスは「マデン・クルーザー」と呼ばれ、2人の専属ドライバーが運転し、マデン用の寝室もあった。全米のどこへでも向かった。
 無類のバーベキュー好きとして知られ、(ファンがスタジアムの駐車場で試合前に行う)テールゲートパーティーをこよなく愛した。バーベキューに関する著作や、自身の名を冠したバーベキューソースもあるほどだった。

 私生活では1959年にバージニア夫人と結婚、ジョセフとマイケルという息子2人がいる。2人はアイビーリーグの大学でフットボールをプレーした。マデンは5人の孫に恵まれた。

        ◇

 また一人、レジェンドコーチが天に召された。ジョン・マデン、85歳。42歳でコーチ業からは引退したので、ヘッドコーチとしての業績でマデンを上回る人は何人かいるかもしれない。しかし

「NFLを世に広めた」

という意味では、彼ほど多くのことを成し遂げた偉人はいなかったと思う。今のNFLファンは、「ビンス・ロンバルディー」と聞いても「ああ、トロフィーの名前の人ね」。「ドン・シューラ?チャック・ノール?知らないなあ。そんな昔の人の話をされても」という反応を示すだろう。

 だが、コーチとしてはシューラやノールと同時代の人であったマデンは、先に天に召された彼らとは違い、今のファンにとっても現役感の溢れた名前だったと思う。長年にわたったテレビ解説、そして何よりもあのゲーム。eスポーツのICONの1人ですらあった。

 アメリカンフットボールという、難解だけれど、とてつもなく面白いスポーツを伝えるには、コミュニケーション能力が必要だ。その能力を誰よりも持った人だった。日本でアメフトがもっと普及するためには、実は選手でもなく、指導者でもなく、こういう人が出て来なけれなならないのだろうなあとつくづく感じている。

ミスター・マデンの魂の安らかならんことを、心より、お祈りします。
オークランド・レイダース提供

小座野容斉

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事