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2022-01-03

【NFL】ブロンコスの名将リーブス氏死去 通算201勝、異なる2チームのHCとしてスーパーボウル出場4回、選手時代も含め9回出場

ブロンコスHC時代のダン・リーブス。エースQBエルウェイとの2人3脚で3回スーパーボウルに出場した=photo by Getty Images

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米プロフットボール・NFLでデンバー・ブロンコス、アトランタ・ファルコンズを、ヘッドコーチ(HC)としてスーパーボウルに計4回導いた名将、ダン・リーブスが現地1月1日(日本時間1月2日)に、ジョージア州アトランタの自宅で死去した。77歳だった。NFL.comや複数の米メディアが伝えた。(写真はすべてGetty Images)

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 リーブスは、ダラスカウボーイズのRBとして、スーパーボウルに2回出場し、第5回スーパーボウルで優勝。現役生活は8年で、引退後は、カウボーイズのアシスタントコーチとして第12回スーパーボウルでも優勝した。

 その後、ブロンコスのHCに就任し、12シーズン活動、QBジョン・エルウェイを擁して第21回、第22回、第24回と、4年間で3回のスーパーボウルに出場したがいずれも敗れた。


 ブロンコスHCを退任後には、ニューヨーク・ジャイアンツのHCを4シーズン、ファルコンズHCを7シーズン務めた。第33回スーパーボウルでは、ファルコンズをチーム史上初の出場に導いたが、ブロンコスに敗れた。HCとして2つの異なるチームをスーパーボウルに導いた6人の指導者の1人だった。

 HCとしては、レギュラーシーズン190勝165敗2分、ポストシーズン11勝9敗。計201勝174敗2分で、通算200勝以上を挙げた9人の1人。スーパーボウル優勝経験のないHCとしては、プレーオフでの11勝はマーブ・リービー(元ビルズHC)と並んでトップ。スーパーボウル出場4回もリービー、バド・グラント(元バイキングスHC)と並んで最多だった。
 スーパーボウルに、選手として試合で実際にプレーし、アシスタントコーチ、HCとしてもチームを率いた回数が合計9回に及んだ。
通算200勝以上で、プロフットボール栄誉の殿堂入りを果たしていないのはリーブスとマーティー・ショッテンハイマー(元チーフスHCなど)だけとなっていた。

選手、コーチとして9回スーパーボウルに出場したリーブス氏=photo by Getty Images

ブロンコスの追悼メッセージ

「デンバー・ブロンコスは、今朝アトランタの自宅で77歳で、伝説のヘッドコーチ、ダン・リーブス氏を失ったことを深く悲しんでいます。」

 「NFL史上最も勝利を収めたコーチの中の1人であるリーブスコーチは、1980年代のブロンコスによる10年間にわたる(AFCの)支配と、その後何年にもわたって続くチャンピオンシップの伝統の基礎を築きました。

「2014年にブロンコスのリング・オブ・フェイムに選出されたリーブス氏は、1981年から92年までHCとしてブロンコスを率い、フランチャイズが恒常的なコンテンダーとなることに貢献しました。競争力と一貫性、そして独自のスタイルで、ブロンコスをスーパーボウル出場3回、AFC西地区優勝5回、プレーオフ出場6回に導きました。」

「1980年代にAFCのチームを3回スーパーボウルに導いた唯一のコーチであるリーブスは、1986年から89年までの4年間にAFCチャンピオンシップを3回制覇しました。彼はデンバーをスーパーボウルXXI(1986年シーズン)、XXII(1987年シーズン)、XXIV(1989年シーズン)に出場させ、全米を舞台にしたブロンコス・フットボールの新時代の幕開けとなりました。」

「リーブス氏は、誠実に、個性的に、タフに、そして選手やコーチへの心からの感謝の気持ちを持って、ブロンコスを指導しました。ブロンコスで過ごした時間は、素晴らしい39年間のプロフットボールキャリアの一部であり、リーブス氏は選手として、コーチとして合計9回という驚異的な回数のスーパーボウル出場を果たしました。」

「我々は、ダンの妻であり高校時代の恋人であったパム、子供のダナ、リー、ローラ、孫、曾孫、そしてリーブス家の皆様に心より哀悼の意を表します。」

リーブス氏の治癒を記念するメッセージを掲げるファルコンズチアリーダー=photo by Getty Images

【小座野容斉】

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