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2017-10-13

野木丈司トレーナーの一番弟子 元王者・河合丈矢さんのいま

文&写真/本間 暁

 懇切丁寧に道順を聞いていたし、住所もしっかりと教えてもらっていた。
けれども、スマートフォンのアプリをうまく操れないアナログ人間である。

「駅を降りれば、なんとなくわかるっしょ」などと、自分の勘と記憶を高く見積もりすぎていた。

10数年ぶりに降りる戸塚駅周辺、いや、駅自体もすっかり様変わりしていた。

 おそるおそる、長い階段を下りて歩き出す。元々が、とんでもない方向音痴である。
やっぱり迷った。徒歩5分ほどの距離のはずなのに30分超、さまよった。

 ようやくそのスタジオを探しあてたときは、
汗と安堵と照れくささ、そしてほんのわずかな緊張感で満ちていた。

 1度深呼吸をして、窓から中をのぞきこむ。
たくましい背中とたたずまい。
この街は、こんなに変貌を遂げているのに、
それだけは、何ひとつ変わらなかった。

河合丈矢さん(本名:丈也=46歳)。
元日本スーパーウェルター級チャンピオン。
妻・真弓さんと、3人の子ども(晶さん=16歳、貫太郎くん=12歳、広太郎くん=9歳)の父。

 彼は2012年から、このスタジオを借りて
『KID SOUL BOXING FAMILY』というボクシングスクールを開いている。
毎月日曜日、基本的に1度。10時から13時まで。会費はなんとワンコイン500円!
老若男女が20人ほど、決して広くはないスタジオ内にひしめき、
ときには体や足をぶつけ合い、
お互いに「ごめんなさい!」なんてやっている。
でも、それがとっても微笑ましい。

 練習時間を3時間と聞いて、いわゆるジムのトレーニングを連想していた。
3時間の中で、それぞれが1時間くらい動いて帰っていく、というイメージ。
でも違った。3時間1本勝負。
 めいめいが、疲れたら休むラウンドをつくったりして自分のペースでできる。
のんびりと談笑している人もいる。
 後から入ってくる人もいれば、「仕事があるから」と途中で抜けていく人もいる。
完全なる自由空間。
 けれど、みんな「ボクシング」という共通項でつながっている。
だから乱れない。惑わない。

「ほとんどが未経験者です。で、みんなでグローブを買いにショップ行ったり、食事に行ったり。
ここで出会いがあって、試合を一緒に観に行ったりしてますね」

 かつて、長女・晶さんがまだ赤ん坊だったころ、
近くの柏尾川の土手に座り、晶ちゃんを抱っこする姿を撮影した。

 毎回、鬼気迫る形相で戦っていた河合丈矢が、
娘を見つめる眼差しはこんなになるのか、と驚き、

「リングの鬼の母なる(!?)微笑み」なんてサブタイトルをつけて。

いま目の前にいる河合さんは、あのときと同じ瞳をたたえている。

女性会員とマスボクシング

「カワイジムのときは、ブランドに乗っかっちゃって、
オレもどこかで乗っかってたと思うんですよ。
だから、みんなを大事にできなかったと思うんです。
いまは、みんなの気持ちを大事にしたい」

 2001年6月11日、吉野弘幸から王座を奪還して返り咲くと、
石田順裕、加山利治らを攻略して3度防衛を果たした。
 そして、メキシコ人世界ランカーとの対戦が決まっていた矢先、
眼疾が発覚──。

「きっと丈矢も来てほしいと思うんですよ。だから行ってやってください」
野木丈司トレーナーに言われ、そして本人からもOKが出た。
 入院中のボクサーを見舞ったのは、あのときかぎりだ。

 何をどうすることもできない。
でも、ただ会いたい。それだけの想いだった。

 そしてやっぱり、眼帯をする彼に、
なんと声をかけていいのかわからなかった。

「わざわざ来てくれてありがとうございます」

うっすらと笑む彼の姿はとても切なかった。

そして引退──。

 家族を養うため、ボクシングとはかけ離れた仕事に就いた。
心の空虚感との戦いが待っていた。

「どんなスポーツもそうだと思うけど、
その競技にどっぷり浸かっているとキツイ。
オレもボクシングだけに懸けて、打ち込んでいたから。
体のバランスも崩したりして……」

 困ったときに登場するのはいつも必ず真弓夫人だった。
「ボクサー時代の写真なんかを部屋に飾ってたんですが、
『こんなのあるからダメなんだよ』って。
それで全部仕舞いこんだんですね。ボクシングは封印。
それで気持ちが楽になりました。イチからやろうと」

 仕事をしっかりと覚え、お客さんに「ありがとう」と言ってもらうまでに5年が経っていた。
決して器用ではない。けれど、コツコツと努力を続けて成し遂げてしまう。
丈也に戻っても、やっぱり“丈矢”の精神は生きているのだった。

 そんなこんなしているうちに、
職場の後輩らから、「ボクシングを教えてほしい」と求められた。
封印していたはずのボクシングだったが、請われるままに従った。
 計算、打算とは程遠い、勘や感覚、本能を大切に生きてきた男だから。
それが、根岸にある森林公園での“青空ボクシング”だ。
 多いときで10人ほど。自動販売機の灯りを頼りにシャドーボクシング。
鏡ももちろんなく、自分のフォームすらわからない。
でも、教わった者の中にはアマチュア大会に出場する選手もいた。
何より、人を導く、教える楽しさ、喜びを自身が味わった。

 現在のスタジオを見つけたのは、散歩しているとき偶然に。
これもひとつの“出会い”なのだろう。

「1回は来ても、次は来なかったりという人がほとんどでした。
誰も来ないで終わった日もあります。
でも、不思議と辞めようとは思わなかった。
ここはなんとかなる! って。
 そんなとき、後輩の白幡(洋徳)のお店<※1>のお客さんが来てくれるようになったりして、
人が人をつなげて輪になった感じです」

 サンドバッグはない。ミット打ちとマスボクシングだけ。
 ちょっとしたアドバイスはするが、あとは、後輩の元選手や、
引退後に知り合った元日本1位の打越昌弘さん(リングネーム:秀樹)<※2>が明るく熱く、丁寧に指導する。

「打越さんなんて、社交辞令だと思ったんですよ(笑)。
でも、毎月、欠かさず幕張から駆けつけてくれる。
 それに、もっと我が強い人かと思ったけれど、ものすごく気を遣ってくれる人だから」

 一歩引いて佇む。微笑む。
「オレは場所を提供しているだけだから」
 ボクシングを楽しむ姿を見て楽しむ。
ただそれだけで幸せなのだ。

現役時代の姿とは対極にある。

内藤大助、比嘉大吾、八重樫東、清水聡……。
ボクサーに限らず、いまや格闘技界全般にわたる『野木トレ』の教え子たち。
その“第一号”こそが河合丈矢だった。

 ボクシング界がフィジカルトレーニングを冷めた目で見ていた当時。
しかし、この2人だけは確固とした決意をにじませていた。

 いまとなっては多大な“前例”があるのだが、当時は皆無。
それでも、ついていけたのは──
「新鮮だったんですかね。コンビを組んで、考えて見てくれる人が。
それに、野木さんはオレがやってきたことを否定しなかった。
それに肉づけをするかたちで。
『もっと鍛えられるよ』、『もっと変われるよ』って感じで
持っていってくれた。
 だから、壊されてもいいから野木さんについていこうと。
防衛戦のときも
「これは世界戦に向けての練習だよ。防衛戦に向けてじゃないよ」って。
 あの人は、世界戦を本当にやれる、やろうと思ってくれてた。
これは世界に通じる練習だよって。
あの当時はスーパーウェルターで世界なんて笑い話でしたよね。
でも、野木さんは本気だったから」

 きっと野木さんも、半分は手探りだったと思う。
けれども、信じる河合丈矢のパワーが、野木トレーナーをも後押ししたはずだ。

 いまや、多いときで30人を超える大所帯となった『階段トレ』。
それを眺めながら、訊ねたことがある。

「いままで、ものすごい人数を見てきた野木さんが、
『こいつはいちばん』という選手は誰でしたか?」

 野木トレーナーは、ふっと間を置いて、さらりと答えた。

「やっぱり、河合丈矢ですね」

 現在の階段は、区画整理で短くなったそう。
当時は、遥か下方に見える団地のところからやっていたという。
目測にして倍はありそうなその距離を、「30本昇った」(河合さん)というのだから、
いまのメンバーが聞いたら、驚愕するに違いない。

 生き方同様、決して器用ではないスタイル。
スピードもパワーも、飛び抜けていたわけではない。
でも、心の強さとそれが支えるタフネスはずば抜けていた。
想像を絶するトレーニングが、柱だった。

「試合をやりたいとは思わないけど、試合に向けてのあれは無性に懐かしいですね。
 あの時間はもう戻らないんだなぁ……って。
 朝起きて、憂欝で(笑)、でも野木さんと会って走って。
すごくぜいたくな時間だったなぁ」

激しい現役生活を終え、辛い現実を乗り越え、そしていま、新たに夢を持つ心の余裕を生んだ。
「このまま続けてて、自分の年とか考えると厳しいところもあるけれど、
自分ひとりじゃなくて、みんなの夢なんです。
小さい小屋でもいいから、そんな場所を持つことが。
かみさんに聞かれたら、何言ってんだって言われるかもだけど(笑)」

 志半ばで現役生活を終えねばならなかった河合さんだが、
導かれるようにして封印を解き、心の安定を得たからこそ言える。
「何事も心構え。それさえしっかりしていれば、だいたいのことは大丈夫」

 重みのある、温かい言葉。
“だいたい”という加えたワンフレーズが、リアルで力強い。

※1
バー『夜な夜な』
神奈川県横浜市南区井土ケ谷中町125
「現役時代から白幡は、料理のバイトをしていて、『ボクシングに専念しろよ』なんて言っていたんですが、いまじゃ立派な調理人で、お店を持った。彼は本当に凄い。それに、料理の味はどれも絶品ですよ!」と河合さんお墨付き

※2
打越さんは現在、NPO法人 FIELD 『元ボクサーの輝ける場所を創る』の代表理事を務めている。元選手たちのスパーリングを開催し、その収益は障がい者施設に寄付されている。

「苦手」というしゃべりも、すっかり板についていた

『KID SOUL BOXING FAMILY』
神奈川県横浜市戸塚区戸塚町4819 成宮ビル1F「スタジオハーツ」
https://www.facebook.com/kawaiian2012/

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