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2023-12-18

【アメフト】甲子園ボウル6連覇の関学大、積み上げてきた土台とチャック・ミルズ

甲子園ボウル6連覇を達成した関学大の大村監督も、チャック・ミルズ氏との関係でハワイ大で学んでいる

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アメリカンフットボールの全日本大学選手権決勝、第78 回毎日甲子園ボウルで、法大を攻守に圧倒した関学大が、通算30勝、34回目の優勝を果たした。スポーツライターの永塚和志氏が、6連覇を達成した強豪チームと日本フットボールの発展に貢献したチャック・ミルズ氏との関係について寄稿した。

レギュラーシーズンでの苦戦などから、今年は接戦の声もあった甲子園ボウルだったが、蓋を開けてみれば関学大が61-21と盤石の強さを見せ、史上初の6連覇を達成。通算でも史上最多記録を更新する34度目の優勝を果たした。

ところが、その偉業を達成したチームを束ねる当の大村和輝監督に感傷的なところはない。6連覇は意識しないと試合前には言っていたが、それを達成してみて安堵感や何かしら、心の中に動くものがあるかと問われると、指揮官の返答はこうだった。

「あんまりないんですけど。すいません、面白くなくて」

しかし、関学大の強さを当たり前だとは考えていない。同学に関係してきた先人たちが積み上げ徐々に高くなっていった土台の上に、今の隆盛があるのだと同監督は言う。

関学大ファイターズにとって発展につながる大きな転機が、1971年だった。この年、チャック・ミルズ氏が率いていたユタ州立大を日本へ渡航させ、東西の全日本チームと東京・国立競技場と甲子園球場で試合を行っているが、これを契機に関学大の指導者たちがアメリカの同氏の下で「コーチ留学」をし、本場の経験や知見を母校に持ち帰ったことが、その後のさらなる発展につながっていった。

ミルズ氏とは、1974年から毎年、大学最優秀選手に贈られる「チャック・ミルズ杯」にその名を冠された、その人だ。だが、この杯のことは知っていても、上に記したようなミルズ氏の歴史や功績の詳細を今の選手たちの多くがどうやら知らないようなのだ。

ミルズ氏の下では、後に関学大でヘッドコーチや監督を務めることとなる広瀬慶次郎氏や伊角富三氏、鳥内秀晃氏らが研鑽を積み、大村監督自身もミルズ氏のコネクションでハワイ大にコーチ留学をしている。

また、上述の1971年の試合でユタ州立大のLBとしてプレーしたケント・ベア氏(ノートルダム大等でコーチを歴任)は、後に日米の架け橋となって日本で「平成ボウル」など国際大会開催などに尽力するなど、やはり日本フットボール界発展に尽くした。

大村監督はミルズ氏やベア氏らを通して関学大の指導者等が学ぶ機会を与えられた経験は「(関学大が)いろんな戦術を一手先、二手先を読んで打てているのもあの人たちの力があって、それを活かしながらやっていることも非常に大きく、特別」だと強調した。

この日、両軍を通じて最多となるレシーブ130ヤード(1TD)を記録した関学大のワイドレシーバー・鈴木崇与(4年生)は、1950年代に同大でQBとして活躍し鈴木智之氏(故人)を祖父に持つ。鈴木は智之氏同様、甲子園ボウル4連覇を達成した形となったが、先人たちが関学大に残してきたものの重みを感じながらプレーしてきたという。

「伝統や練習の仕方、プレーや人に対する考え方はずっと昔から受け継がれているというところがあって、やっぱりそこは他のチームにはない凄さが関学にはあるのかなと思っています」(鈴木)

ミルズ氏は2022年に他界し、ベア氏も現在72歳となった。大村監督は「チャックさんみたいな人を次、探さないけません」と言う。ところがこれが容易ではないところに、彼は一つの危惧を覚えているのだ。

というのも、現在のアメリカの大学フットボール界は巨額の収益を上げる「産業」となり、それにより物事がビジネス化しまったことで、ミルズ氏やベア氏のように簡単にアメリカの著名なコーチを日本に呼ぶなどということができなくなってしまったからだ。

それでも、大村監督は「自分の人脈の中でやってくれそうな人とかにアプローチしていかなあかんなとは思ってます」とアメリカとの接点を探っていく意欲を見せる。規模の大きな学校のコーチは難しくても、そうでないところには関学の、ひいては日本のフットボール界の発展に寄与してくれると信じている。

ミルズ氏は、フットボールが強くなるだけでなく学業を含めた人間教育を重んじた指導者でもあった。それは関学大においても受け継がれている。大村はフットボールを「頭を使えばやれることがたくさんある、本当に良いスポーツ」と述べた。そんな特性のある競技だからこそ若者を育むのに適しているし、関学大がこのスポーツを重んじてきた背景にはそれもあるのではないか。

日本でのフットボールをプレーする競技人口が減少傾向にある事実についても大村監督は、やはり危惧を覚える。

「こういうところで学生にいろんなきっかけを与えたり、教育をするっていうのも大事だけど、(競技の枠を)広げるということになると、ちょっと別の軸でやっていかないといけないかな。実は、個人的にはそこに目を向けたいなと思っています」

大村監督は、甲子園ボウル後のフィールド上で選手や他のスタッフたちが優勝の歓喜に湧く中、いつも通りの、飄々とした口ぶりでフットボール界に対する「憂い」を吐露したのだった。

永塚和志

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