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2018-11-23

【連載 名力士たちの『開眼』】 関脇・富士櫻栄守編 失意を逆にエネルギーとした「突貫小僧」――[その2]

※写真上=3横綱を総なめにした昭和49年初場所、2度目の技能賞を受賞した富士櫻(左は敢闘賞の魁傑、中央は殊勲賞の北の湖)
写真:月刊相撲

 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

【前回のあらすじ】中学時代、「オレは大男なんだ」と信じて疑わなかった富士櫻。富士錦にスカウトされ、いざ高砂部屋に入門してみると、自分が一番小さいことに気付いた。そこで、ちゃんこを食べて食べまくり、体重増を実現すると番付も上昇――

酒も稽古も冴え渡った49年初場所

 十両昇進は、昭和45年(1970)初場所。10場所後の46年秋場所、新入幕。富士櫻の出世スピードは、決して早くはなかったが、着実だった。そして、その14場所後の49年初場所、富士櫻は力士生活のクライマックスを迎えることになる。

 最近の力士はいわゆる「飲んべえ」が少なくなったが、昔から力士とお酒は切っても切れない仲。富士櫻も、このお酒には目のない口だった。それも、最近の力士には滅多にお目にかかれない、日本酒党だ。

「現役時代は、ホントによく飲んだなあ。とりわけ、あの25~26歳と言えば、飲み盛りですからね。これは自分の経験上なんですが、お酒というのは、1升ぐらいが一番うまいですねえ。場所前は、朝早く起きて稽古しなくちゃいけないし、体もつくらなくちゃいけませんので、そんなに無茶飲みはしませんでした。せいぜいこの1升ぐらいかなあ。でも、場所が始まると、そんなに早起きしなくてもいいし、気分転換や、睡眠薬代わりによく飲みました。たとえ3升飲んでも、翌日、二日酔いした日は一度もありませんでした」

 1升は水代わり、2升飲むと、いつも判を押したように、富士櫻の口から歌が飛び出した。しかし、こちらの評判はもう一つ。よく飲み仲間から、

「関取の歌は、ネギ節だねえ」

 とからかわれたものだった。ネギには節がない。つまり、音痴、という意味である。

 この豪快な飲みっぷりは、ケレン味のない、富士櫻の押し一筋の相撲にも一脈通じるものがあった。

 この49年初場所の富士櫻は、前の場所、西2枚目で10勝して初の技能賞を受賞。稽古も、酒の飲みっぷりも、最も冴え渡っているときだった。

 初日の相手は、横綱北の富士。同じ一門で、いつも稽古場で胸を借りている「恩人」である。当然のことながら、これまでは4戦して4敗(ほかに一つ、不戦勝はある)。

 しかし、この日の富士櫻は、突貫小僧というニックネームそのまま。頭から全力で突っ込むとそのまま押しまくり、とうとう目の前にそびえるこの大きな壁を押し出してしまったのだ。

 翌2日目も、やはり横綱輪島を先手を取って攻め込んで突き落とし。1日置いて4日目も、琴櫻にまず突っ張り、追い込まれた琴櫻が反撃に出たところを、右に変わって叩き込み、難なく四つん這いにさせた。

 こうして、富士櫻は、まだ場所の幕を開けて3分の1も経たないうちに3横綱総なめという、15日制になって、千代の山、初代若乃花、先代朝潮、琴ケ濱らに次ぐ、華々しい快挙をやってのけたのだ。

「押し相撲というのは、いかに自分の立ち合いをするか、なんですよ。あとはもう、そのときの流れで。あの場所は、この立ち合いのタイミングが、自分でも惚れ惚れするくらい絶妙。なにしろ一人でも食うのが大変な横綱を、いっぺんに3人も食ってしまったんですからねえ。力士になってよかった、と思うことは、そうないんですが、あのときばかりは、心の底から、自分をスカウトしてくれた高砂親方(元小結富士錦)に感謝しましたよ」

昭和50年夏場所8日目、天覧相撲で麒麟児(左)と壮絶な押し合いを披露した
写真:月刊相撲

天覧相撲で見せた歴史に残る激闘

 初土俵から12年目。それは体の小さな富士櫻が咲かせた、一世一代の大きな花だった。しかし、これと対照的に、あと一歩というところで散らしてしまった惜しい花もある。

 この3横綱総なめから8場所後の50年夏場所8日目。この日は昭和になってちょうど30回目の天覧相撲で、審判部は目玉カードとして、富士櫻対麒麟児、という、当代きっての威勢のいい押し相撲同士の対決を組んだ。

 もちろん、二人にとっても望むところだ。勝負は期待どおり、どちらも途中で引いたり、叩いたりせず、土俵中央で壮絶な押し合いを披露。力の限りをぶつけ合った挙げ句、二人とももつれるように土俵から転げ落ちた。

 しかし、飛び出る瞬間、思い切って高く飛び上がる、という前代未聞の頭脳プレーをした麒麟児の着地がわずかに遅く、富士櫻はこの5年後輩に「押し相撲ナンバーワン」の称号を奪われてしまったのだ。

「あのとき、どちらも引かなかったのは、阿吽(あうん)の呼吸というヤツですよ。それだけに、負けたときは悔しかったなあ。でも、力は出し切りましたから、そういう意味でのさわやかさはありました。その後も麒麟児とは何回も戦いましたけど、一つ、あのときの言い訳をさせていただければ、向こうは幕内に上がってきたばかりで、まさに日の出の勢いのとき。押し相撲にとって、この5歳のハンデというのは、想像以上に大きいんですよ」

 場所後、富士櫻は愛知県弥富町の衛藤静江さんの長女、嗣子さんと結婚式を挙げることになっていた。しかし、成績は、この負けが大きく響いて7勝8敗と1点の負け越し。富士櫻は、これを、

「これからはもう一人じゃないんだ。もっと稽古しないと、女房を食わしていけないぞ」

 という天の戒めだと思った。(続)

PROFILE
富士櫻栄守◎本名・中澤榮男。昭和23年(1948)2月9日、山梨県甲府市出身。高砂部屋。178cm141kg。昭和38年春場所初土俵、45年初場所新十両、46年秋場所新入幕。幕内通算73場所、502勝582敗11休、殊勲賞2回、敢闘賞3回、技能賞3回。60年春場所引退、年寄中村を襲名後、61年5月に分家独立、平成24年12月まで中村部屋を経営した。25年2月に停年退職。

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