前回は、米国のスタンフォード大女子水泳部のヘッドコーチ、グレッグ・ミーハンがいかにリーダーシップを発揮し、チームを全米トップに引き上げているかについて紹介した。今回は、長い米国競泳の歴史でも、トップコーチの一人に数えられる超ベテラン、テキサス大水泳部ヘッドコーチのエディー・リースのリーダーシップのあり方を、今回から2回にわたり紹介したい。
★「負けたくない」というトップ選手の重要な要素
エディー・リースは1978年にテキサス大水泳部のヘッドコーチに就任し、今年で就任40年となる“超”がつくベテラン・プロコーチである。日本の大学では教員業と部活動を掛け持ちで行なうケースが多く見られるが、米国の主要大学は、プロコーチを採用し、結果が出なければ当然のように解雇する厳しい世界となっている。その中で、40年間もの長期にわたり、テキサス大水泳部をリードし、チームを大学選手権(NCAA)で13回も優勝に導いたのは驚異的な業績ともいえるだろう。世界のトップコーチがリースを尊敬の眼差しでみる理由はまずもって、この点にある。
エディー・リースは1941年7月23日生まれの76歳。引退の時期が迫ってきてはいるが、若い時から変えていない姿勢がある。常に新しい手法を見出し、挑戦するということ。そして選手とのコミュニケーションを大切にしていることだ。
この40年間、オリンピックを含めた米国代表チームを数多く見てきて、リースはこんなコメントを『スイミング・テクニック』誌の11月号に残している。
「素晴らしい選手と一般的に評価される選手の80%は『とにかく勝ちたい。勝ちさえすればいい』という思考方法に支配されている。残りの20%は『絶対に負けたくない』という思いが強い。私の経験では、『負けたくない』という思考方法を持つグループから、素晴らしい成績を残す選手が出ているように思う。結果として必ず負けない、ということではないが、明らかに異なる価値をチームに注ぎ込む選手だ」
長年、トップ選手を見てきたリースが、トップ選手である最も重要な要素は、「負けたくない」という思考方法にあるという指摘は非常に興味深い。また、40年もの長期にわたってコーチングで成功してきた秘訣については、次のように語っている。
「自分がコーチとして優秀とは思わないし、その才能があるとも思っていない。しかし、選手の成績を少しでも良くしていこう、そしてその仕事はとても責任の重いものだと常に考えてきた」
大学生は18歳から22歳の心も身体も成長著しい時期にあたる。同じメニューを毎年繰り返していれば、成長のペースは遅くなり、いずれ後退していく、という考え方がある。だからこそ、40年間、新しい手法を常に研究し、実践してきた。特に大切にしてきたのが、選手一人ひとりとの対話によるコミュニケーションだ。選手へのメッセージを常にフレッシュに、フェイス・トゥ・フェイスで、正直にストレートにコミュニケーションを取る。トレーニングプログラムの改善はもちろん大事だが、コミュニケーション能力の高さこそが、リースの真骨頂といえる。
★リオ五輪で「事件」を起こした教え子への対応
リースの選手への対応手法を試す典型的な「事件」が2016年8月、リオデジャネイロ五輪中に起きた。そう、あのライアン・ロクテが代表チームの仲間とナイトパーティーに参加し、酔った勢いで、ガソリンスタンドで器物を損壊したにもかかわらず、暴漢にピストルで脅されたなどと、度重なる嘘の報告を重ねた一件である。リースが指導する自由形トップ選手のジャック・コンガーが、なんとロクテと一緒にいたのである。指導者としてのリースの信頼をも揺るがす案件だった。
世間の注目がロクテに集まる中、コンガーは真実が明るみになるにつれて青くなった。ブラジル警察は、コンガーからも聴取を行なうため、他のナショナルチームとの一緒の帰国を許さず、ブラジル国内にとどめる措置をとった。最終的にコンガーは米国水連から4カ月の出場停止を含むペナルティーを受けることになる。
同じことが日本の競泳チームで起きたらどうなるか? 大変な事態に発展することは間違いないだろう。あなたが事件に関わった選手のコーチであれば、どのような対処をするだろう? コンガーは4年生で大学最終学年。短気な指導者であれば、徹底的に叱責をする展開だろう。しかし、リースは「お前がしでかしたことは、やはり間違っているよ」と冷静にたしなめ、コンガーにチャンスを与えた。リースは、コンガーの心から反省した様子を見つつ、テキサス大には、これ以上に罰則が適用されないように裏で掛け合った。さらに、「このひどい経験から、自分を見つめ直し、どのように日々の生活や、トレーニングに生かすのか」という方向で戦略的なコミュニケーションを取った。
コンガーはあの一件で、社会の怖さと厳しさ、一人の間違った行動が人生をも一発で破滅に追い込む怖さを経験したのだろう。その後、人間が変わったようにトレーニングに取り組むようになったという。あの事件から7カ月後、コンガーは200ヤードバタフライにも積極的に挑戦し、2017年の大学選手権(NCAA)を大会新で優勝している。
今、ジャック・コンガーは、あの事件のグループの一人だったことを悔やみつつも、より良い選手になるための努力を重ねている。
★失敗から次の展開を考える
さて、テキサス大男子競泳チームからは、同じリオ五輪で、ヒーローも誕生している。シンガポール出身のジョセフ・スクーリングだ。男子100mバタフライで50秒39をマーク、あのマイケル・フェルプスのオリンピック4連覇を阻み、シンガポールにすべての競技を通じて初めてのオリンピック金メダルをもたらした選手である。シンガポールは人口500万人ほどの東南アジアの小国で、ジョセフ・スクーリングといえば、シンガポールでは誰でも知っている「ナショナル・ヒーロー」だ。しかし、厳しい勝負の世界では次々にライバルが現れ、天下は長くは続かない。リースは回想する。
「スクーリングはオリンピック金メダル獲得という、選手としての最大の目標を達成した。高揚感が最高潮に達するなか、たった1年で勝負の現実に引き戻された」
リオ五輪からたった1年後。ハンガリーのブタペストで世界選手権が開催されたが、圧倒的な力で男子100mバタフライを制したのは、フロリダ大のケーラブ・ドレッセルだったのである。スクーリングは同着3位。しかもドレッセルの優勝タイムは49秒82というフェルプスの世界新に迫る好記録だったのだ。
世界新記録を狙うつもりで、大会を迎えたというスクーリングだったが、逆に世界トップの座からすべり落ちてしまった。22歳で、これまでは身体の成長に合わせて、記録が一気呵成に伸びてきたが、これからはそうはいかない。精神面での成長がおぼつかなければ、自らに起きる環境の変化に対応できなくなる。リースは言う。
「自己ベストが出にくくなる、というのはスクーリングにとって人生初めての経験。これが彼のメンタルにどのような影響を与えるのか、それに自らどのように対応しようとするのか、まずはよく観察する。ジュニア時代から泳げばベスト、ベストで、オリンピック金メダルまで取ってしまったのだから。でもこれからはそう簡単にはいかない。人生の現実とどうもがき、向き合っていくか」
スクーリングはハードなトレーニング生活に戻ってはいるが、リースは引き続き、スクーリングの心の内面の観察を続けているという。スクーリングの性格を見ながら、再び心に燃える火がともるのを支えていく。「いきなり選手を動機づけしようとしてもまずうまくいかない。ケーラブの話も一切しない」とリースは言う。
選手の失敗をどのようにクリエイティブに伝え、理解させ、次の展開につなげるか? どんなに厳しい状況でもそこからモチベーションを生み出すコミュニケーション法を考える。これこそがリースの真骨頂だ。
選手一人ひとりの性格を吟味したうえでの変幻自在のコミュニケーション力。育てたオリンピック選手は30名以上、彼が指導した選手が獲得したオリンピックメダル数は金メダルで40個を超えると言われている。圧倒的なコーチ力はコミュニケーション力がその源泉にある、といっていいだろう。
文◎望月秀記
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