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2017-11-07

【現地報告】経済発展遂げ続けるベトナムの水泳事情 後篇 ~ベトナム代表コーチ・桑原伸一郎氏からの報告~

ベトナムで指導にあたっている桑原氏の報告第2弾です。今回は、渡越から約1年、桑原氏が感じたことを中心にお伝えします。

【Q1】ベトナム、そしてベトナム水泳に関わった感想・内容を聞かせてください。

【桑原】渡越前に米国、豪州、ブラジル、イタリアなどの国に行ったことはありますが、それほど、その土地ごとでの肌感覚では多くの日本企業が進出している印象はありませんでした。しかし、ベトナム水泳連盟から連絡が入り、2016年2月にベトナムへ視察に行ったときに、乗り物や食べ物、テレビ番組など至る所で日本の物事が反映されていることに非常に驚きました。

 ベトナムの首都ハノイには、大きなイオンモールがオープンし、モールに入るとベトナム人の店員が日本語で「いらっしゃいませ!」と挨拶してくる。そしてイオンモール内のルネサンススポーツクラブを訪ねると、スイミングスクールが行なわれており、まるで日本のような景色で子供たちが水しぶきをあげていました。

 20年前にアメリカ留学をしていたときには田舎に住んでいたので、日本食レストランが近所にありませんでしたが、ハノイでは日本的な生活を送るのにそれほど困らなさそうな印象を受けました。フォーを代表した麺類や、「おかず、ご飯、スープ、野菜」といったベトナムの一般的な食事は日本人の口に合うものが多いです。そして、たくさんのベトナム人が日本人である私に興味を持って、非常に親切・フレンドリーに話しかけてくれることにも驚きました。

 そういった国の雰囲気の中で、熱心に「ベトナム水泳のために働いて欲しい」と誘いを受け続け、次第に「一度きりの人生。チャレンジしてみよう」という気持ちに傾いたのです。

映像を使いながら、泳法説明する桑原氏(右)
写真提供:筆者

 2016年9月にベトナムに移住。最初の3カ月間は競泳指導には関わらず、首都ハノイで日本式スイミングスクール運営を取り入れたいベトナムのスポーツ会社で、コーチ対象の資料作成、レクチャー、研修を行ないました。日本では「水慣れ→け伸び・キック(バタ足)などがしっかりできてから→クロールを練習していく」のが一般的な手順ですが、ベトナムではまだ水に十分に体を浮かせることのできない状態の人に平泳ぎから練習をスタートするようで、「このような順序では、効果的に泳ぎを習得できない」と説明しても、なかなか「水泳は平泳ぎから覚えるもの」という固定概念がぬぐえず、やり取りに苦労しました。

 2017年1月に北部・ハノイから中部・ダナンに移動し、国が運営するナショナルチームでの練習メニュー作成・指導を始めました。プールはダナン体育大学の施設を利用し、寮・食堂が併設されています。

大会ではレースデータを作成して、選手やコーチに配信している
写真提供:筆者

自分のチームのコーチ・選手にテクニック情報を配信。トップ選手との比較や、本人の良かった点・悪かった点をFacebookを使って説明している

 私が指導する選手は現在11歳から21歳で、低年齢の選手はまだトレーニング経験が浅く、15歳以上で国内上位の選手との泳力差が大きいです。指導は、ホワイトボードに練習メニューを書き込み、私が英語で説明したことをベトナム人コーチが選手たちに伝え、練習中の指導でも、ベトナム人コーチに伝えてもらっています。しかし、様々な理由からスタッフ不足になることも多く、ベトナム語の話せない私は選手に伝えたいことを伝えられないことがよくあり、そこが最も苦労する点です。

選手への意思伝達は、英語での説明をベトナム人コーチが現地語に訳して伝えている
写真提供:筆者

 また、先の予定を事前に知らせてもらえず、想定外のことが起こりやすいです。大会エントリー種目は選手の出身省が最終的に決定するので、こちらでコントロールすることができず、自分の選手が一体どの種目に出場するのかは、レース直前にやっと判明するような感じです。省側としては「大会ではできるだけ多くのメダルを獲得して欲しい」との思いから、出場種目が連続していても配慮されず、複数種目にエントリーされているので、せっかく練習がうまくいっていてもエントリー状況で力が発揮できないことが多くあります。

 ベトナム人コーチと意見が食い違うこともあります。「それは日本人だけに当てはまるやり方だ。ベトナムの選手のことはベトナムのコーチが一番よくわかっている」などといった論議もしばしば起きています。

 私が指導にあたるまでは、たくさんの練習量をこなし、ウェイトトレーニングで筋力強化に重点を当てていたので、私がドリル練習や、スプリントトレーニング、陸上で筋力ではなく体の使い方を重視したエクササイズを取り入れると、練習量が減り筋力が低下するような気がして不安を感じる選手が現れたのも事実です。そこで、Facebookでチームメンバーのみが閲覧できるグループページを作成し、画像を使って、技術的な改善点などを選手・コーチが学べるようにしました。また週に1回、テクニックについて解説するクリニックを行なうようにしました。レースに出場すれば、レースデータを作成し、レースの中で何が起きているか、世界のトップ選手と比較して、何が違うのか理解できるように数値化しています。

 こういった取り組みの中、新しいスタイルに戸惑いを感じ、かえってうまくいかなくなる選手もいましたが、東南アジア大会(SEA Games)の代表となった2名は見事に改善、自己記録を更新し、メダルを獲得してくれました。

【Q2】読者の方々に伝えたいことがあれば、御願いします。

【桑原】東南アジアの水泳を見たとき、日本の水泳界が非常に発達しているのが改めて理解できました。また欧米と比べてみても、日本のスイミングスクールのように低年齢から体系的に泳ぎを習得していく土壌は、日本独特の優れた文化といってよいでしょう。

 そういった日本の水泳界で切磋琢磨して得た知識や経験が、外国で必要とされる時代が来ている、と感じます。ベトナムでの水難溺死率は先進国の10倍と言われています(10万人に8人が溺死。0歳から4歳の10万人に22人が溺死)。競泳指導だけでなく、一般の人がもっと安全に泳げるようになれるよう、今後、初心者向け水泳を発展させていく必要があると感じています。

 また、日本では、例えば「競泳コーチとしてオリンピックを目指したい」と思っても、なかなかそれを実際に目指すだけの条件が整わない場合があります。しかし場合によっては、海外に出るとそれを目指せる環境を得られることもあります。

 海外に出ると、言葉・言語の問題があり、その部分で今、私も苦労していますが、努力さえしていればそのうち何とかなるというのが個人的に得た経験則です。また色々な想定外の事が起きよく頭を悩ませますが、命に支障がない限り、その悪い体験でさえ日本で暮らしていたときには決して体験できなかった豊かな体験です。生活費などに不安要素を感じたとしても、むしろビジネスチャンスが多いので、頑張れば何とかなる、と思っています。

 日本では当たり前だったことが海外では当たり前ではないので、日本の素晴らしさの再発見につながることも多いです。日本で家族を築いていると動きにくいとは思いますが、海外には家族で移住してきた日本人ファミリーも多く、むしろ海外での生活に居心地の良さを感じている人達も多いです。日本を離れて失うものもあるかもしれませんが、得るものも多いというのが実感です。

 フットワークが軽くなり、様々な国に行く機会が増えますし、そこで見る新しい世界、また新たに出会う人達とのつながりは特別で、今後の自己発展に大きく影響します。日本で勤めていたときより、日々の勤務時間は短いですし、競泳でしたら競泳に専念して取り組めます。休暇も取りやすいですし、色々な意味で縛られずに過ごせます。他の日本人の方もたくさんいますし、日本食レストランもたくさんありますので、そんなに困りません。

 仕事や生きていく場所を日本に限定してしまい、自分の可能性を閉ざしている方もいるのではないかと思います。2~3日間の休みでも海外旅行に行くことは可能ですので、そうやって海外を身近なものにしていくことにより、まずは自分の生きる範囲を広げてみることはプラスになるはずです。

 海外で水泳に関わる仕事をする日本人が増えるということは、日本の水泳が世界でそれだけ認められている証と言えます。ぜひ今後、海外に目を向ける人が増えていくことを期待しています。

【Q3】今後の展望を教えてください。

【桑原】私の今後の目標は、まずはベトナム語をできるだけ習得し、人に頼らずに選手とコミュニケーションを取れるようになることです。そしてチーム運営の体勢の見直し、トレーニング効果を上げていくことです。現在、オリンピック参加のための国際水泳連盟のB標準が誰も切れていませんので、2019年度中に多数突破できるようにして、同年開催の東南アジア大会では金メダルを獲得できるようにしていきたいです。

大会に参加する指導選手たち。現在、11歳から21歳までの選手の指導にあたっている
写真提供:筆者

 日本やシンガポールの水泳に少しでも追いつくために、練習用具を充実させたり、合宿を行ったりしたいのですが、なかなか予算がありません。スポンサーになってくれる企業を探すことが課題のひとつです。

 また、ベトナム全体の競泳競技人口が少ないことと、溺死者数が多いこと、水泳・スポーツ全般が産業化されていないことを懸念していますので、現在のナショナルチームの指導の他に、2019年にはスイミングスクールを立ち上げ運営を始められるよう動いていきます。自分ひとりの力ではできませんので、協力者を見つけていきたいです(興味のある方はご連絡ください)。

 いずれも今までの自分では考えることができなかった視野で、今後の生き方や目標を考えることができるようになりました。その意味では、思い切ってベトナムに移住して良かったと思います。

【プロフィール】
くわはら・しんいちろう●1972年生まれ、京都府出身。1993~98年まで、米国アラバマ大学に留学し、運動生理学を専攻。科学的トレーニングで有名なジョンティ・スキナーコーチに師事し、アラバマ大水泳部とレジデントナショナルチームのアシスタントコーチとして活動。また日本代表チームのスタッフとしてサンタクララJr.遠征や1996年アトランタ五輪に帯同。1999年~2008年は京都外大西高校水泳部ヘッドコーチを務め、その間、同校をインターハイ総合上位常連校に導き、2000年には同校の三木二郎がシドニー五輪代表になる。また、2002年にはアメリカ代表チームスタッフも務めている。その後、大阪のMEISPO茨木ヘッドコーチを務めたのち、2016年9月にベトナムへ渡越。2017年1月にベトナムナショナルチーム(ダナン)の海外エキスパートコーチに就任。8月に[東南アジアのオリンピック]と呼ばれる東南アジア大会(SEA Games)にベトナム代表コーチとして参加。担当選手が大幅に自己ベストを更新し、銀2・銅1のメダルを獲得した

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