2017年はJ2優勝に導き、今年は再びJ1で指揮を執る湘南ベルマーレの曺貴裁・監督。明確なスタイルを持つ指導者の1人で、中学年代を指導した経験もあり、育成にも定評がある。熱き指揮官の指導の考え方、これまでの歩みを聞いた。
(出典:『サッカークリニック』2018年3月号)

取材・構成/川端暁彦
写真/窪田亮

指導を志す原点は
ドイツの子供の反応

──指導者を志した原点は何だったのでしょうか?

曺 1997年、最後はヴィッセル神戸で現役から退きましたが、指導者をやる気はまったくなかったのです。これは本当です。
 サッカーにかけ続けてきましたが、現役から退いた現実もあり、次のライフ・ワークについてはまったくのノー・アイディアでした。サッカーから一旦離れて、ほかの仕事を探す時間を持ちたかったのと語学を勉強したかったのもあり、ドイツへ向かったのです。

──ケルン体育大学に進みました。

曺 ケルン体育大学でドイツの指導者ライセンスを取得するために、ドイツの子供たちを指導する機会がありました。確か、パス・アンド・コントロールの練習を行なったと思います。20分くらいでしたが、ドイツ語も満足にできない中でとにかく一生懸命に指導しました。そして、練習が終わったあとに子供たちに対して「誰の練習が面白かった?」と誰かが聞いたのです。そしたら、私が指名されたのです。

──それはすごいですね。

曺 とても自信になりました(笑)。選手だったときはあまり自信のあるタイプではありませんでした。しかし、一生懸命に指導したあとに「楽しかった」と言われた体験はもう最高(笑)。歌手や画家や落語家などもそうだと思いますが、「今日、面白かったね」と言われるのは最大級の賛辞でしょう? その喜びを感じられたため、「指導者ならできるかも」などと思ったのです。実に浅はかな理由です(笑)。当時は「リバプールとチェルシーの3バックの守り方が〜」というようなことは一切考えていませんでした。戦術のことも含め、「やりたいサッカー」などを聞かれても答えられませんでした。

──しかし、曺監督のサッカーはコンセプトが明確です。

曺 若い指導者によく言うことでもあるのですが、「自分のコンセプト」や「自分の色」を持たなければいけない、ということはありません。初めは誰も、何も持っていないからです。現在の私だって大したものは持っていません。
 しかし、「『目の前にいる選手たちをどう伸ばすか』と悩みながら試行錯誤していくことは大事」ということは言っています。指導に正解はありませんし、誰でも失敗はするものです。「自分が最初からいいコーチだと思い込み、『あれやれ、これやれ』と言うだけなのは最悪だよ」ということも伝えています。「人間対人間」という、シンプルな構図を忘れてはいけません。私も間違ったと思ったときは謝ります。

──ケルンには何年いたのでしょうか?

曺 2年くらいです。しかし、トップチームの監督になることを当時は考えられませんでした。子供を教えたいと思っていたのです。
 やはり、ドイツに行って良かったです。ドイツ語が分かるようになったため、今でもドイツの新聞を読んでもサッカーの記事なら理解できます。ドイツに行くと「帰ってきたな」みたいな感覚もあります(笑)。

──ドイツでは、それだけ温かく迎えてもらえていたということですね。

曺 そうでもありません(笑)。でも、なぜかドイツが好きなのです。彼らは一見わがままです。たとえ間違ったとしてもすぐに「間違った」とは言いません。一方で、環境面への意識は高かったりするのです。燃えるゴミに燃えないゴミを混ぜたりしませんし、道はきれいですし、環境への配慮や近所への気配りなども感じられます。自転車が通れる道と歩行者が歩ける道がちゃんと分けられていたりもします。そういった主張と常識が混在するドイツの文化はサッカーにも表れているとも思います。

画像: 2017年はJ2で首位を独走し、早々にJ1昇格に導いた曺監督。今年はトップチームの監督として4シーズン目となるJ1の舞台でどんな結果を残すか

2017年はJ2で首位を独走し、早々にJ1昇格に導いた曺監督。今年はトップチームの監督として4シーズン目となるJ1の舞台でどんな結果を残すか

「間違ってもいいから
子供たちに負けるな」

──ドイツから帰国後、川崎フロンターレで指導を始めました。

曺 大学の先輩に誘ってもらえました。まずはトップチームのアシスタントをやらせてもらい、その後は中学年代を3年間指導させてもらいました。当時の中学年代にいたのが髙山薫や永木亮太(現在は鹿島アントラーズ)です。あの頃に彼らと向き合って過ごした日々は本当に私の原点です。あの子たちは現在28歳や29歳になって結婚していたりしますが、何かあったら連絡をくれます。自分にとっては指導の原点となるような子供たちです。

──髙山選手や永木選手が「最初の息子たち」ですね。

曺 すでにサッカーをやめてしまっている選手に厳しくする理由はありませんが、薫は最も厳しく指導された選手でしょう(笑)。川崎の中学年代を指導した3年間は本当に楽しかったです。バケツを持たせて外に立たせるようなこともしていましたし、最初は「この選手は反抗的でうまくいかない」と感じても、最後には分かってくれる感覚も持てました。
 山本五十六(軍人)の「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」、「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」、「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」という言葉がありますが、本当にその通りだと思えた3年間でした。

──まさに指導の原点ですね。

曺 格好いい言葉や「俺はすごい」みたいなことを言ったところで子供はまったく反応しません。しかし、「このコーチは僕たちのことを本気で見てくれているのかな?」という視点は持っています。大人になると状況や場所に合わせてうまくやる人もいますが、中学生にはそのような感覚がありません。私が湘南ベルマーレのアカデミー・コーチによく言う言葉があります。「子供に負けちゃダメだぞ」、です。子供たちはコーチを試します。例えば、「うまい選手には何も言わない」というのを気づかれると、うまい選手以外の選手も話を聞かず、聞いているふりをしたりします。
 子供たちは大人のことを見ています。ですから、こう言うようにもしています。「間違ってもいいし、失敗してもいい。『戦術を間違えた』、『采配をミスした』は問題ない。でも、子供に負けるな」です。

──選手に見透かされるようではいけないのですね。以前、小嶺忠敏・監督(長崎総合科学大学附属高校)がそういった部分でコーチを叱かっているのを見たことがあります。

曺 見透かされる理由があるわけです。「選手の前でコーチを叱るべきではない」と言う人もいますが、私は違うと思います。怒られる理由があるのです。本当に一生懸命にやっている指導者なら、逆に選手たちから「コーチは僕たちと向き合ってやってくれている」と言われることでしょう。
 大人の論理で指導してはいけないのです。ただし、「責任は監督である私が取る」ということははっきりさせています。勝敗だけではなく、起こることすべてに対する責任です。

──そのほか、何か指導面でのこだわりはありますか?

曺 「エスケープ(逃げる)を許さない」です。現実逃避のエスケープもそうですし、プレーでの逃避もそうです。例えば、センターサークル付近でボールを持ったときに攻撃方向の中央と右サイドに味方がいて、中央にいるフォワードにボールを出せればフォワードがターンして「1対1」をつくれる状況だったとします。ただし、そのような状況では相手サイドバックなどが中央にプレッシャーをかけていることでしょう。右サイドハーフのほうが出しやすく、この選択肢のほうが簡単で、安全です。ただし、「右サイドハーフにパス」の選択肢を実行したときに私は言うでしょう。「簡単に外へ逃げるな!」、と。

──成功率の高いほうを選べばいいわけではないのですね。

曺 「何に対する成功なの?」という話です。私はボール保持者がペナルティーエリアの幅でターンして向かってくる状況が、ディフェンダーにとって最も嫌なプレーだと思っています。その選択肢を捨てて、「つなげばいい」、「失わなければいい」といったプレーを選ぶことは成功のうちに入りません。
 守備でも、「抜かれなければいい」という守備は好きではありません。そういったプレーも私は「エスケープ・プレー」と呼んでいます。何も言わなければ選手はエスケープ・プレーを選択します。簡単ですし、人間ですから、楽なほうを選んでしまいます。しかし、エスケープ・プレーを選ぶことに対して、言葉や練習で変えようとしていくのが私の変わらないやり方です。

──実際、選手は変わっています。

曺 練習でしか変えられませんし、手前味噌ですが、現在湘南にいる選手たちも変わってくれたと思っています。
 ここで言う「練習」とは、ミーティングや普段のマネジメントも含めてのことで、私はそれらも含めて練習だと思っています。

──怒り方で気をつけている部分はありますか?

曺 人格を否定しないことです。ただし、事象については徹底的に言います。「プライドが傷つくから1人のときに言ったほうがいい」などとマニュアル本には書いてあるかもしれませんが、私は気にしません。サッカーでは、「セットプレーの守備は苦手なので、やらなくていいですか?」とはなりません。ですから、チームメイトの前で怒られることも受け入れてもらいます。
 付け加えるなら、私は「人の怒り方」や「コーチング法」といったビジネス書を好みません。あのような本を読み、そのままやってうまくいく人はいるのでしょうか? 参考程度に読むのならいいかもしれませんが……。

──そうですね。しかし、湘南の選手たちは曺監督に怒られても納得している雰囲気があります。

曺 ただし、選手が自分で考えて判断して行動に移したことを怒らないようには気をつけています。選手が持っている個性や長所を消そうとは思っていません。

──選手たちも、監督が「自分を伸ばそうと思って言ってくれている」というのは伝わっているのでしょうね。

曺 そうかもしれませんが、「お前のことを思って言っているんだぞ」というのは口に出すことでもありません(笑)。一方で、「これをしないと試合に出さない」とも言いません。選手にとって屈辱的なことだからです。不必要な屈辱感を持たせる必要はありません。ただし、試合に出ていない選手に「監督やコーチの頭の中をもう少しのぞけるようになったらいいよ」とは言います。「監督に合わせる」ということでは決してありません。指導者に求められている点を考えることで、自分の個性の出し方が変わるはずです。その点を考えずに「俺はやっているのに」というのは違います。

真剣に向き合うから
サッカーが楽しい

──話を少し戻します。川崎のあと、2004年からセレッソ大阪で指導することになりました。

曺 実は川崎から、「そのまま上がってユース年代を指導してほしい」と言われました。しかし正直、引き出しがないと感じていました。川崎の中学年代の子供たちに対して自分の持っているものはすべて出し切ったと感じていたのです。ですから、「もっと違うこともやらないといけない」と思い、セレッソのトップチーム・コーチになることを選びました。当時は元日本代表の西澤明訓、森島寛晃、大久保嘉人(現在は川崎F)らがいました。

──すごい顔ぶれですね。

曺 しかし、小林伸二さんが監督だったときですが、ぎりぎりでJ1に残留を決めたものの、自分の指導者としての浅はかさ、指導力のなさを痛感させられた年でもありました。正直、「このままではまずい」と感じていたのです。「エネルギーを一生懸命に出せば選手は聞くだろう」という傲慢な部分もあったかもしれません。もっと、人間に訴えかけるような説得力が必要でした。何事も理詰めで言うのではなく、選手の立場に立っていろいろな話を聞きながら粘り強く言ったり、見せたりする部分が欠けていたと思います。
 セレッソで感じた時間も大切ですし、そのあとに湘南で子供たちと向き合った時間も、湘南でトップチームの監督をやる前にコーチをやらせてもらったのも貴重な時間でした。すべてが大切で、すべてが財産になっています。最初からトップチームの監督をすることは間違いなくできません。サッカー観もできていませんでした。

──今は違うのですね。

曺 いえ、現在の私も大したサッカー観はありません。しかし、選手に楽しいと感じさせたり、躍動させたりするのは、トップチームの監督だろうと、ユースのコーチだろうと、少年団の監督だろうと一緒だと思います。選手が熱中して「楽しい」と感じる指導でないといけませんし、選手が楽しくないと身にならないとも思います。
 ここで言う「楽しさ」とは、「真剣に向き合ったら楽しい」という意味での楽しさです。私も語学を勉強するのが楽しかったですし、川端さん(筆者)たちの仕事だって同じでしょう? 文章に真剣に向き合っているから楽しいのです。

──そして、読者から「面白かった」と言われたら最高です。

曺 そう、まさにそれです。サッカーの監督も同じです。私の原点も、ドイツの子供たちの「面白かった」という反応です。

画像: ──そして、読者から「面白かった」と言われたら最高です。

<PROFILE>
曺貴裁(チョウ・キジェ)/1969年1月16日生まれ、京都府出身。現役時代はDFとして日本サッカーリーグの日立、柏レイソル、浦和レッズ、ヴィッセル神戸で97年までプレーした。現役から退いたあとは、川崎フロンターレ、セレッソ大阪、湘南ベルマーレでトップチームのコーチを務めたほか、川崎Fと湘南では下部組織でも指導。2012年から湘南の監督を務めている。17年はJ2優勝を収め、J1昇格に導いた。今年で7年目の采配となる

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