果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

【前回のあらすじ】左肩脱臼を繰り返し、自暴自棄に陥っていたころ、今度は自信のあった右肩を脱臼。手術か引退かの選択を迫られたが、トレーニングで肩を強化する作戦に切り替えた。取り口も投げ技中心から前ミツ一気の速攻にモデルチェンジ。そして迎えた昭和56年初場所初日―

〝出稽古作戦〞が実を結び、大変身

 昭和56年初場所初日、この日の相手は琴風。当時116kgしかなかった千代の富士にとって、この鋭い出足を売り物にする琴風の突進は、恐怖そのものだった。対戦成績もそれを如実に反映し、この前の場所、やっとひとつ勝ったが、その前はなんと5連敗。

 この場所、大関取りが懸かっていた千代の富士が大関、横綱を目指すためには、この琴風を何としても攻略しなくてはいけない。そこで、九重、千代の富士という師弟コンビがこの数場所前から開始したのが、自分より番付が下で、しかも年齢も若い琴風のいる佐渡ケ嶽部屋にわざわざ出向き、頭を下げてその胸を借りる〝出稽古作戦〞だった。

「ある朝、起きて稽古場に下りると、親方がいないんだ。『どこに行ったの』と若い者に聞くと、『佐渡ケ嶽部屋に行ってる』という。まさか親方が出稽古するワケはないんだから、オレにも来いということだな、と思って行くと、上がり座敷に座ってすましているんだ。最初はやっぱり行きづらかったよ。でも、師匠の考えてることは分かっていたし、それから何年も通ったなあ。もちろん、初めのころは完敗さ。でも、そのうちに何とか対応できるようになり、やがて形勢が逆転。最後のころは、琴風が何をやろうとしているか、顔を見ると、一発で分かるようになったよ」

 と、千代の富士はニヤリとしたが、こうやって苦手をすっかりカモに変えたのはこの一番のズーッと後の話だ(最終の対戦成績は千代の富士の22勝6敗)。

 こんな虎穴に入っていくような死にもの狂いの稽古がやっと実を結び、この日の千代の富士の踏み込みは速かった。サッと左で前ミツを引き、右を差すとそのまま前に電車道。苦手の琴風に対抗する暇を与えず、アッという間に寄り切ってしまったのだ。

 いかにも口惜しそうに顔をゆがめる琴風を見て、千代の富士は、

「これがオレの相撲だ。今度こそ間違いない」

 と、心の中で何度もうなずいた。この日、千代の富士は自分が分厚い殻を破ってひと回り大きくなったのを感じた。

 変身のきっかけというのは、あるときはうんざりするぐらい時間をかけて、またあるときはあっという間にやってくる。

画像: 昭和56年初場所千秋楽、優勝決定戦で北の湖の右ヒザを攻め、初優勝を決めた

昭和56年初場所千秋楽、優勝決定戦で北の湖の右ヒザを攻め、初優勝を決めた

山を崩したクールな洞察力

 この昭和56年初場所の千代の富士は、初日に天敵ともいうべき琴風に会心の相撲で勝って弾みをつけると、翌日から超大型台風となって突っ走った。5日目に横綱の輪島、12日目に同じく横綱若乃花も一蹴し、なんと14日目まで負け知らずの14連勝。千秋楽の相手は、13勝1敗とピッタリと1差で追走している強敵の北の湖だった。

 このとき、北の湖の優勝回数はちょうど20回。すでに峠は越えていたが、それでもまだ近寄り難い迫力を秘めていた。

 それまで8戦してたった1回しか勝ったことのない千代の富士は、どうやってこの巨大な山のような強豪に立ち向かっていったらいいのか、攻める糸口さえ分からなかった。

 このデータどおり勝負は北の湖のワンサイド。左四つに組み負けた千代の富士は、ガッチリと両廻しを引き付けられて「オレに挑戦してくるのは10年早いよ」といわんばかりに軽々と吊り出されたのだ。ところが、勝負がついた瞬間、この難攻不落の横綱の右ヒザがガクッと折れ、そのまま跪いてしまったのを千代の富士は見逃さなかった。

 そして、優勝決定戦。またしても千代の富士は左四つに組み負けたが、今度は頭をつけ、いっぺん寄ってフェイントをかけておいて右からの上手出し投げを打った。それも連続して。すると、あれほど強烈だった北の湖がまるで別人のようにヨロめき、そのまま右ヒザからあっけなく崩れ落ちていった。すでにこの一番の前に大関当確のランプは点灯していたが、それに花を添える初優勝だ。

「あの本割で北の湖さんがヒザをついたとき、ひょっとするとヒザが弱いんじゃないか、と思ったんだよ。そこで決定戦のとき、そこを攻めたら、やっぱりそうだった。相手の弱点が分かっているのと、分かっていないのとでは、取っていて全然違うからネ。この一番が伏線になって、それから3場所後(昭和56年名古屋場所)、親方に、『これに勝ったらお前の人生が変わるぞ』と言われた。横綱昇進のかかった一番にも勝つことができたんだ。それにしても、あのときはうれしかったなあ。初めて賜盃が江戸川を渡る(当時の九重部屋は、江戸川区春江町にあった)というので、部屋の周りはものすごい人垣ができ、それをかき分け、やっとの思いで玄関にたどり着いたら、白タビが黒タビに変わっていたよ」

 と、引退直後の千代の富士はこの11年前の出来事をまるで昨日のことのように生き生きと話し、いかにも痛快そうに肩を揺すった。

 このいつものクールな洞察力が、その後も何度か千代の富士を救うことになる。こうしてこの小さな〝大横綱〞は、数々の奇跡を引き起こした伝説の中に突き進んでいった。(終。来週からは朝潮編です)

PROFILE
ちよのふじ・みつぐ◎本名・秋元貢。昭和30年(1955)6月1日生まれ。北海道松前郡福島町出身。九重部屋。183㎝127㎏。昭和45年秋場所初土俵、49年九州場所新十両、50年秋場所新入幕。56年初場所で幕内初優勝。最高位は横綱。幕内通算81場所、807勝253敗144休。優勝31回、殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞5回。平成元年(1989)9月、角界初の国民栄誉賞受賞。平成3年夏場所4日目に引退。年寄陣幕から、4年4月に部屋を引き継ぎ九重と名跡交換。大関千代大海(現九重親方)や小結千代天山、千代鳳、千代大龍らを育てた。平成28年7月31日、膵臓がんのため死去。享年61歳。

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