A New Record
Roger Bannister about to cross the tape at the end of his record breaking mile run at Iffley Road, Oxford. He was the first person to run the mile in under four minutes, with a time of 3 minutes 59.4 seconds. (Photo by Norman Potter/Central Press/Getty Images)

 1954年に陸上の1マイル(約1609m)レースで史上初めて4分の壁を破った伝説のランナー、ロジャー・バニスター氏が3月3日、英国オックスフォードで死去しました。88歳でした。ちょうど英国のバーミンガムで開催されていた陸上の世界室内選手権では、一時照明を落とし、スクリーンに選手時代の映像が流されました。自らも79年7月にオスロで3分49秒0の世界記録を樹立し、この種目で計3回の世界記録をマークしている国際陸上競技連盟のセバスチャン・コー会長は「私たちの世代でロジャーの偉業に影響を受けなかった選手はいない」とその功績をたたえ、観客はナイトの称号を持つ偉大な先人に黙祷を捧げました。

画像: Tired Bannister 6th May 1954: Roger Bannister gasps for breath at the end of his record breaking mile run at Iffley Road, Oxford. He was the first person to run the mile in under four minutes, with a time of 3 minutes 59.4 seconds. (Photo by Norman Potter/Central Press/Getty Images)

Tired Bannister
6th May 1954: Roger Bannister gasps for breath at the end of his record breaking mile run at Iffley Road, Oxford. He was the first person to run the mile in under four minutes, with a time of 3 minutes 59.4 seconds. (Photo by Norman Potter/Central Press/Getty Images)

 1999年に米国のライフ誌が選出した「この1000年で最も功績があった世界の100人」に、マルコ・ポーロ、コロンブス、ダビンチ、コペルニクス、シェークスピア、マルクス、アインシュタインら歴史上の偉人とともに、このロジャー・バニスター氏が選ばれています。日本人では浮世絵の葛飾北斎が唯一選出されたユニークなリストに、ただ1人アスリートとして名を連ねているのはなぜなのか。

 64年前の出来事で、1マイルレースがめったに行われない日本では想像がつかないでしょうが、バニスター氏は欧米では極めて大きな存在でした。この記録達成の2年前にエリザベス女王が25歳の若さで即位し、翌年には英国隊が世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)の登頂に成功しました。大英帝国の斜陽化が誰の目にも明らかになっていた時期。二つの慶事に続く超エリートのオックスフォード大医学生の快挙に、英国民や英連邦諸国民が熱狂したといいます。

 日本ではマラソンや駅伝の人気が際立ちますが、欧州では中距離走が長く陸上競技の中心種目でした。「陸上競技のルーツをさぐる」(岡尾恵市)によると、陸上競技の母国、英国では競馬などと同じく中距離走が「賭け」を目的としたプロ選手のレースとして行われていたそうです。こうしたレースは当時の英国を中心とした「1マイル」が距離の基本。あまり距離が長いと観客にあきられるため、公園やクリケット場など全体が見渡せる周回コースで、競馬並みに数分間で勝負がつく「1マイルレース」が人気だったらしい。

 アマチュアの競技会で実施されるようになったのは1864年の「第1回オックスフォード対ケンブリッジ大学対抗戦」からで、この時の優勝記録は4分59秒。それより半世紀ほど前に1000ギニーの高額賞金を賭けて行われたプロのレースでは、すでに4分30秒の記録が出ていたそうですから、レベルの差は歴然でした。「プロを排除する」アマチュアリズムが生まれたのも無理からぬところです。

画像: Record Breaker From left to right, British athletes Chris Brasher (1928 - 2003), Roger Bannister and Chris Chataway after Bannister's record breaking 4 minute mile run in 3 mins 59.4 secs at Oxford. (Photo by Davis/Getty Images)

Record Breaker
From left to right, British athletes Chris Brasher (1928 - 2003), Roger Bannister and Chris Chataway after Bannister's record breaking 4 minute mile run in 3 mins 59.4 secs at Oxford. (Photo by Davis/Getty Images)

「1マイルレースと4分の壁」がスポーツ界で大きなテーマになったのは、1923年に「空飛ぶフィンランド人」の異名を取ったパーボ・ヌルミが4分10秒4の驚異的な記録を打ち立てたときで、この記録は二度と破れないと言われました。1945年には4分1秒4まで記録は短縮されましたが壁は厚く、「1マイル4分を切る記録は人間の能力では不可能」とされていたのです。

 そんなとき、オックスフォード大を卒業したばかりの25歳の医学生が快挙を達成します。1954年5月6日、当地のイフリー・ロード競技場で、ペースメーカー役を買って出た2人のチームメートを追って中間点を1分58秒2で通過。ラスト1周の鐘が鳴ったときは3分0秒5でしたが、見事なラストスパートで世界記録を一気に2秒も短縮する3分59秒4でフィニッシュしました。現在の世界記録は99年にヒシャム・エルゲルージ(モロッコ)が樹立した3分43秒13です。

 医学生だったバニスター氏は、さまざまな科学的知見を取り入れたトレーニングに取り組みました。なかでも最先端のインターバル・トレーニングとペース配分の研究が大きな効果を上げたようです。専門の精神医学の知識を生かし、メンタル面でも「4分の壁は誰でもない、自分が真っ先に突破する」との強い気持ちで臨んだといいます。途中の1500mは世界記録とタイの3分43秒0。現在では考えられないことですが、当日はロンドンの病院でシフト勤務をこなした後、午後6時からのレースに出場したそうです。

画像: Students Cheer Bannister English athlete Roger Bannister is cheered by his fellow medical students at St Mary's Hospital, Paddington, the day after he ran his record-breaking sub-four minute mile, London, 7th May 1954. (Photo by Douglas Miller/Keystone/Hulton Archive/Getty Images)

Students Cheer Bannister
English athlete Roger Bannister is cheered by his fellow medical students at St Mary's Hospital, Paddington, the day after he ran his record-breaking sub-four minute mile, London, 7th May 1954. (Photo by Douglas Miller/Keystone/Hulton Archive/Getty Images)

 世界に衝撃を与えたレースからわずか46日後、ライバルのジョン・ランディ(オーストラリア)が3分58秒0(1500mは3分41秒8の世界新)をマークしてバニスターの記録を塗り替えました。いったん「4分の壁」が破られると、次々に3分台で走る選手が続いたのです。「100m 10秒の壁」も同様ですが、心理的な壁がいかに人間の行動に大きな影響を与えるかの好例でした。

 そんな中、同年夏にカナダ・バンクーバーで開かれた英連邦大会は、4分を切った2人が対決する「ミラクルマイル」が大きな話題になり、バニスター氏が勝って金メダルを獲得しました。帰国後には欧州選手権の1500mを制し、ランナーとしては前途洋々の25歳で現役を引退しました。後のインタビューでバニスター氏は「記録を破ることより五輪や英連邦大会で勝つことの方が重要。英連邦大会優勝の方がより達成感が大きかった」と述べています。記録の壁を破って一時代を築いた人物の、これが本音だった。

画像: Bannister/mile 3 Aug 2000: Hicham El Guerrouj of Morrocco the current mile world record holder with Sir Roger Bannister of Gt Britain at the Iffley Road Track in Oxford where Sir Roger broke the first ever 4 minute mile Mandatory Credit: Clive Brunskill/ALLSPORT

Bannister/mile
3 Aug 2000: Hicham El Guerrouj of Morrocco the current mile world record holder with Sir Roger Bannister of Gt Britain at the Iffley Road Track in Oxford where Sir Roger broke the first ever 4 minute mile Mandatory Credit: Clive Brunskill/ALLSPORT

 75年には医学界とスポーツ界で果たした功績に対し、女王陛下からナイトの称号が贈られました。記録樹立から50周年の2004年には、英王立造幣局が走者の脚とストップウォッチをデザインした記念の50ペンス硬貨を発行。単なる医師、スポーツ選手を超えた偉大な人物として常に敬意を払われる存在でした。11年には手足の震えが出て顔の表情が乏しくなるパーキンソン病を発症しましたが、神経科のエキスパートらしく「私は多くの患者や障害の様子も見てきたし、手当をしてきた。自分が病気になったことは驚きではないし、自然なこと。優しい皮肉と言っていい」と述べ、悠々と療養生活を送っていたそうです。文武両道に優れ、多くの人から尊敬を集めた偉大なアスリートのご冥福を祈ります。

画像: Sir Roger Bannister Sub 4-Minute Mile 50th Anniversary OXFORD, ENGLAND - MAY 6: Sir Roger Bannister and Lord Coe share a joke at the Iffley Road running track to celebrate the 50th Anniversary of his first sub 4 minute mile on May 6, 2004 at Iffley Road, Oxford, England. (Photo by Jamie McDonald/Getty Images)

Sir Roger Bannister Sub 4-Minute Mile 50th Anniversary
OXFORD, ENGLAND - MAY 6: Sir Roger Bannister and Lord Coe share a joke at the Iffley Road running track to celebrate the 50th Anniversary of his first sub 4 minute mile on May 6, 2004 at Iffley Road, Oxford, England. (Photo by Jamie McDonald/Getty Images)

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