2016年リオ五輪女子200m平泳ぎ金メダリストの金藤理絵が引退を表明、3月16日に岐阜県庁内で会見を行なった。

 リオ五輪から約1年半、その去就が注目されていたが、会見の冒頭では3月7日に日本水泳連盟に正式に引退届を提出したこと、また長年お世話になった岐阜県で会見を行なう意向があったことを説明した上で、引退を決意するに至るまでの心境を説明し始めた。

「リオ五輪以降、自分のなかではやり切ったという気持ちが強かったが、間近で自分をずっと、全力で見守っていただいてきた加藤健志コーチは、『現役の金メダリストだからこそ、できることがあるんじゃないか』と留意された部分もあり、なかなか引退か、現役続行が悩んできた部分もありますが、来月に日本選手権も間近になって、自分の中でそろそろ決めなければと思い、この時期に決めました」とオリンピック後も葛藤を抱えていた心情を吐露した。

 最終的な決断を下した時期は自身でも特定できないと前置きした上で、昨年のブダペスト世界選手権を見て、自分の気持ちが引退に向いていることに気付いたことが一つのきっかけだったという。

「昨年の世界選手権を見て、加藤コーチは『理絵が出て、ほかの選手を引っ張っていたら、もっと他の結果があったんじゃないか』と言っていたのですが、自分の中では、もし仮に出ていたとしてももっと変えることができたという感情は湧きませんでした。そのときに、私はサポートするほうが合っているのではという気持ちになりました。
 ただ、加藤コーチには直接、面と向かって、やめます、と言った記憶はないので、普段の生活の中でのやり取りで、会見をいつ開くといったことを話した記憶があります」

 東京五輪については、リオ五輪で完全燃焼したこともあり、自分が選手として立つ舞台として捉えられない部分があるという。

 金藤は、大学2年時の2008年に北京五輪代表となり200m平泳ぎ7位入賞。翌年以降も安定した成績を残し続け、隔年開催の世界選手権では2009年ローマ大会から15年カザン大会までの4大会ですべて入賞を果たしてきた。その間、2012年のロンドン五輪代表落選という最大の挫折も経験、決勝には進出するものの世界大会(オリンピック、世界選手権)でのメダルに届かなかった悔しさや葛藤を長年、抱えながらも競技を継続してきた点は、金藤のメンタル面の強さを表しているともいえるだろう。

 そうした思いがすべて報われたのが3度目のオリンピックイヤー、2016年シーズンだった。オリンピック選考会の日本選手権では2分19秒65の日本新記録で優勝。そして8年ぶりの出場となったリオ五輪では予選から安定した泳ぎを見せ、決勝でも100m以降他を寄せ付けない圧倒的な強さで、2分20秒30で金メダルを獲得したのである。

画像: ダイナミックな泳ぎと後半の強さが武器だった金藤。日本人女子選手によるオリンピック競泳競技での金メダル獲得は、2004年アテネ大会800m自由形の柴田亜衣以来、200m平泳ぎでは1992年バルセロナ大会の岩崎恭子以来のことだった 写真:Getty Images

ダイナミックな泳ぎと後半の強さが武器だった金藤。日本人女子選手によるオリンピック競泳競技での金メダル獲得は、2004年アテネ大会800m自由形の柴田亜衣以来、200m平泳ぎでは1992年バルセロナ大会の岩崎恭子以来のことだった
写真:Getty Images

 金藤は、これまでお世話になった方々への感謝を述べながら、会見にも同席した加藤コーチへの感謝の気持ちは、特別なものと説明した。

「水泳を始めたのは小学3年生という遅い時期でしたが、高校まで指導を受けたコーチの方よりも、もっと長く一緒にいたのは自分の中では信じられない気持ちもあります。約11年間指導を受けてきた加藤コーチは考えをすべて自分に言っていただき、私はたまに隠し事もしましたけど(笑)、何でも相談できる方で、どの選手やコーチとも違う関係を作ることができたと思います。やっぱり加藤コーチがあきらめていたら、やらなかったと思いますし、(2012年のロンドン五輪代表落ちしたあとに)現役を続けるか否か迷っているときに、先輩から『指導者を変えることも一つの選択肢では?』と言われたときでも、私の中ではその選択肢は全くなくて、それだけ信頼していましたし、そういう存在の加藤コーチが一番じゃなければ、誰が一番のコーチなのか。加藤コーチも隣で、『そうだろう』と思っていると思いますが(笑)」

 今後は、岐阜県を拠点に、各地の水泳教室や2011年からサポートを受けてきたフットマーク株式会社のイベント等に携わっていく予定だという。

「“競泳の金藤理絵=水泳”は終わるので寂しい気持ちもありますが、これからも“金藤理絵=水泳”に変わりはないので、ずっと水泳と”イコール”でつながれるような人生、活動を行っていきたいです。この1年半多少なりとも指導に関わることがありましたし、ただの選手でもなく、ただの指導者でもない中間の立場を経験しました。強く速い子どもたちが育っていくことはもちろんですが、夢を持つことや、そこに向かってどう進んでいけるかアドバイスしていきたいと思います」

最後に、自身の現役生活を振り返って、次のように締めくくった。

「1回ダメになった(2012年ロンドン五輪代表落ち)あとの練習のほうがきつくて…、年齢の近い周りの選手がやめていったりしているなか、自分は何で泳いでいるんだろうと思ったりしていました。ただ、やっているときはその意味がわからなくても、終わったあとにやってきたことの意味がわかるんだなと、感じる部分はあります」

画像: ●Profile かねとう・りえ◎1988年9月8日生まれ、広島県出身。広島県立三次高→東海大→東海大大学院修了。小学3年時に、公営プールで活動する三次SCで本格的に水泳を始める。高校2年時のインターハイ200m平泳ぎで2位に入り全国区の選手として台頭すると、翌年には同種目で優勝。東海大進学後は代表レベルに着実に成長を遂げ、大学2年時の2008年には200m平泳ぎで北京五輪代表となり、7位入賞を果たした。その後、世界大会のメダルを目標に泳ぎ続けてきたが、なかなか手が届かない時期が続き、2012年ロンドン五輪の代表の座を逃す。しかし、世界選手権200m平泳ぎでは2009年のローマ大会(5位)を皮切りに、11年上海(5位)、13年バルセロナ(4位)、15年カザン(6位)と4大会連続のファイナリストとなり、長期にわたり、高いレベルを維持し続けてきた。世界大会でのメダル獲得を目指すべく臨んだ2016年は、日本選手権で日本新記録で優勝を飾り、2大会ぶりにオリンピック代表の座をつかむと、リオ五輪では圧倒的なレースで金メダルを獲得した。自己ベストは100m平泳ぎ1分6秒58(2015年)、200m平泳ぎ2分19秒65(2016年/日本記録)

●Profile
かねとう・りえ◎1988年9月8日生まれ、広島県出身。広島県立三次高→東海大→東海大大学院修了。小学3年時に、公営プールで活動する三次SCで本格的に水泳を始める。高校2年時のインターハイ200m平泳ぎで2位に入り全国区の選手として台頭すると、翌年には同種目で優勝。東海大進学後は代表レベルに着実に成長を遂げ、大学2年時の2008年には200m平泳ぎで北京五輪代表となり、7位入賞を果たした。その後、世界大会のメダルを目標に泳ぎ続けてきたが、なかなか手が届かない時期が続き、2012年ロンドン五輪の代表の座を逃す。しかし、世界選手権200m平泳ぎでは2009年のローマ大会(5位)を皮切りに、11年上海(5位)、13年バルセロナ(4位)、15年カザン(6位)と4大会連続のファイナリストとなり、長期にわたり、高いレベルを維持し続けてきた。世界大会でのメダル獲得を目指すべく臨んだ2016年は、日本選手権で日本新記録で優勝を飾り、2大会ぶりにオリンピック代表の座をつかむと、リオ五輪では圧倒的なレースで金メダルを獲得した。自己ベストは100m平泳ぎ1分6秒58(2015年)、200m平泳ぎ2分19秒65(2016年/日本記録)

◎フットマーク株式会社ホームページ 金藤理絵 特設サイト

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