創設25周年を迎えたJリーグ。当時を知る記者が四半世紀を振り返っていくコラムの2回めは、ワールドカップイヤーだからこそのJリーグの重みについて、前編後編に分けて綴ってみる。ロシア・ワールドカップをおよそ3カ月後に控えるこの時期に改めて考えたい、Jリーグの意義とはーー。

文◎平澤大輔(元サッカーマガジン編集長) 写真◎BBM

メンバー発表は5月31日!?

今年、2018年はワールドカップイヤーである。

…と、改めて口にしてみないとそんな気がしてこない。6大会連続出場の「常連国」だからこその無関心なのだろうか。そうだとしたら、僕はこんな風に堕落してしまった自分を猛烈に恥じるばかりである。

だからといって、この期に及んで僕が一人でワクワクしてみても、日本代表が強くなるわけではない。今回は、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督が5月31日にメンバーを発表する可能性を示唆した。せめてできることといえば、まずは目の前のJリーグの試合を楽しむことぐらいだ。

「ワールドカップイヤーのJリーグ」といえば、大会に登録されるメンバーに滑り込む選手がいるかどうかを探すのが楽しみの一つ。そうして選ばれた選手がいわゆる「サプライズ」として扱われることもある。個人的にはサプライズという切り口があまり好きではなくて、驚きの選出があるかないかで大騒ぎするのはどうなんだろうといつも思うのだけれど(僕が選ばれれば話は別だが)。

天才少年に大人の心も揺れた

振り返ってみると、1998年は海外のクラブに所属している選手はいなかったし、何しろ初のワールドカップだったから、本大会に至るまでのJリーグの熱狂も怖いぐらいだった。本大会のメンバー選考については、岡田武史監督の「カズ、三浦カズ」の声が永遠にこだまする強烈なドラマの記憶(FWカズとMF北澤豪〈ともにヴェルディ川崎、所属は当時=以下同〉、DF市川大祐〈清水エスパルス〉が外れる)が語り継がれているが、浦和レッズに加入したばかりの若き天才MF小野伸二が選ばれるかどうかも注目の的だった。

この年の3月にJリーグにデビューしたばかりの小野だったが、その抜きん出た技術ですぐに浦和の王様になった。左右両足から放たれる高精度のパスで軽やかに相手を崩して先輩FWを操り、チャンスを演出し続けていった。

これに惚れ込んだのはファンやサポーターだけでなく、岡田監督も同様だった。特に言及したのはワンタッチパスのレベルの高さだった。この頃の日本代表はMF中田英寿(ベルマーレ平塚)、MF名波浩(ジュビロ磐田)、FW城彰二(横浜マリノス)を中心にしたパスワークで予選を突破したが、岡田監督はそこに小野のワンタッチパスのスピードを加えて世界に伍して戦う青写真を描いた。アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカという日本のレベルを超える相手に、守備に重心を置きつつカウンターで攻めるスタイルを模索する中で、「最後の一突き」を小野のセンスに託せないものかと探っていたのだ。

一方で、少なからず批判もあった。小野はまだ若くてJリーグの経験も浅く、技術の高さに寄り添いすぎて、そもそもがチームの駒として戦えないとする内容だった。うますぎてしまって老練だ、というのだ。特に守備面で運動量が少なく球際に激しさがなく、プレーの幅が狭いとされていた。

圧倒的な絶賛と、だからこそ生まれる圧倒的な猜疑心。Jリーグが始まって以来、初めてと言ってもいい「18歳の天才少年」の出現に、「大人」の心も揺れていたのだと思う。そこに、ワールドカップ初出場の高揚感が加わって、どちらの意見をも煽り立てる。そんな空気が漂っていた(いま振り返って思えば、の話だが、どこか、現在の久保建英〈FC東京〉をめぐるざわめきに似ているような気がしないでもないが、それはまた別の話)。

岡田監督が欲しかったのは、小野の…

岡田監督からすれば、もちろんこの喧騒とは、はなから決別しようとしていただろうが、もしかしたら…とも考えてしまう。あの人の性格を考えれば「だったら使ってやろうじゃないか」という意地のようなものがほんの少しはあったのではないだろうか、と。

岡田監督は市川とともに、ワールドカップ2カ月前の韓国とのテストマッチに小野を初めて招集した。この試合で65分からピッチに送り込んで代表デビューさせている。アウェーの地でグランドコンディションも劣悪だったものの、「テストさせたかった」とその熱望を隠さなかった。残り2カ月という時期で迎えた「最後のトライ」という認識が強かったのだ。

小野を使うか使わないか。判断基準は「日本の未来のためにも、18歳の若者に世界を経験させておこう」という親心ではなかった。チーム作りの過程で必要だったからなのは間違いない。数年ののちに岡田監督はあのときのメンバー選考について聞かれて、「みんなカズのことを聞きたいんだろうけどさ、あのメンバーはあらゆる可能性を想定して勝つために選んだだけなんだって。本当に」と半ば呆れながら、でも誤解を生まないように丁寧に話していた。

もちろんこれは、小野を選んだことの答えでもある。勝つために、あのワンタッチパスが欲しかったのだ。

小野はカズが長年背負ってきた「11」のユニフォームを託されてメンバーに登録された。でも、本大会ではほとんど使われなかった。というよりは、岡田監督が想定した状況に試合が動いていかなかったということなのだろう。結局、グループステージ第3戦のジャマイカ戦に79分から出場、「いきなり相手を股抜きしてからシュート」という小野らしい世界デビューにはなった。

この試合にも敗れた日本は3戦全敗。ただ、試合後の小野の機嫌が良くなかったのはそのことばかりが理由ではないだろう。「あの時間じゃ世界のレベルは分からない」「この大会では忍耐という言葉を学びました」と総括したのは本音で、要するに、浦和レッズでやっているように、もっとオレを使えばよかったじゃないか、という心の叫びだったのである。

リヨンのスタジアム「スタッド・ドゥ・ジェルラン」のミックスゾーンでその言葉を聞いて、いろいろな意味で日本サッカーの未来は輝かしいと喜んだものだ。(後編に続く)

画像: 小野は11番をつけてワールドカップデビューを飾った

小野は11番をつけてワールドカップデビューを飾った

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