成功例の少ない米国女子選手のプロ転向

 先月、一つの競泳ニュースが全米を駆け巡った。女子長距離界の世界女王として君臨するケイティ・リデキーがプロスイマー宣言をしたのである。

 スタンフォード大で2年目のシーズンを終えたばかりのリデキー。2020年東京五輪を2年あまりに控えての大きな決断だ。大学水泳を2年終えてのプロ転向は、2012年ロンドン五輪で大活躍したミッシー・フランクリンが、カリフォルニア大バークレー校でやはり2年間の大学水泳を経験した後にプロ宣言した。これまでの米国競泳の歴史の中で、女子選手については、大学または高校生の段階でプロ宣言し成功したケースがこれまで見当たらない。現在、まだ現役を続けているフランクリンも、ロンドン五輪のあとは、競泳の成績は鳴かず飛ばずで、うつ病に近い症状を発症していたと最近になって本人も語っている。史上最強の女子競泳選手ともいえるリデキーは、“早くしてプロ選手になった米国女子選手は成功しない”というジンクスを乗り越え、成功することができるのか?

完璧なまでの競技生活

 さて、経緯を簡単に振り返る。リデキーは現在、カリフォルニア州の名門スタンフォード大の2年生で21歳、心理学を専攻しており、大学では2回目のNCAA(全米大学選手権)を終えたところである。2016年リオ五輪では金メダル4個を獲得した。現在、女子400、800、1500m自由形の世界記録保持者で、間違いなく、史上最高の女子競泳選手の一人と言ってよい。その彼女のプロ宣言は3月26日に突如、飛び出した。NCAAでスタンフォード大を2年連続の女子総合優勝に導いたおよそ2週間後のことである。

 前述のフランクリンのケースでは、大学入学時から2年間を終えた時点でプロになると予め宣言していたが、リデキーはプロ選手に関するコメントをしてこなかったため、米国の主要メディアもこのニュースを特報で伝えた。

「熟慮に熟慮を重ねての決断」

「熟慮に熟慮を重ねての決断」というリデキーは、昨年の夏ごろにプロ選手になるための準備を開始したようだ。プロ選手になっても、いまのスタンフォード大で、グレッグ・ミーハンコーチのもとでトレーニングを続けていく(グレッグ・ミーハンについては、このコーナーの第4回に取り上げたのでぜひ読んでほしい)。

 そのミーハンとも話し合いを重ね、「2020年東京五輪で活躍するためには、今プロ宣言するのが最も良いタイミングと判断した」という。

 そのタイミングについて解説しよう。

 まずは、米国の大学の競泳スケジュールの問題が指摘されている。大学コーチやチームは、NCAAで活躍・勝利することが一義的な目標として設定されるが、このNCAAは短水路のヤードプールで行なわれる。そのため、春のシーズンは大学水泳部の練習は長水路(50m)ではなく、ヤードプールにコースロープを引き直してトレーニングするのである。しかし、オリンピックは長水路でのレースであり、しかもリデキーは中長距離選手なので、トレーニングを長水路で集中して行なうことは重要な要素となる。なぜなら、ヤードプールでのレースは、ターンが多く、ストロークのピッチも速くなるため、泳ぎ方が異なるのである。このため、米国ではオリンピックイヤーに大学生のトップ選手が大学を休学して、長水路でのトレーニングに集中することは珍しいことではない。

 さらにリデキーについて言えば、実力が学生の中では圧倒的で、今年のNCAAの1650ヤード自由形では2位に28秒もの差をつけて圧勝している。ほんの2年間の大学生活で、リデキーは、NCAAのタイトルを8個獲得、ヤードプールでの米国記録を11回更新、15回ものNCAA新記録を樹立と、もはや大学水泳の範疇にはまらない選手なのである。しかも、心理学を専攻するリデキーは、学業面で米国内でもトップレベルにあるスタンフォード大学での学業成績も極めて優秀だという。もはや「すごい」という形容詞しか出てこない学生選手なのである。筆者も昨年夏に、リデキーのトレーニングをスタンフォード大に見学にいったが、黙々と長距離を泳ぎ込む姿は、真面目で、目標に向かって一直線に進んでいく彼女のキャラクターを見事に示していたように思う。

なぜ米国女子のプロ化が成功しないのか?

 これからもリデキーのコーチを続けるというミーハンだが、公式コメントでは、「ケイティが次のキャリアに進むことは素晴らしいことだ。この2年間に、トレーニングに向かう姿勢をチーム全体に浸透させ、長距離グループを全米トップクラスに引き上げてくれた。素晴らしいチームメンバーであり、学生アスリートだ」と手放しの褒めようだ。

 しかし、死角がないように見えるリデキーのプロ転向でも、その前に、なぜアメリカで若い女子選手のプロ化が成功しないのかを考えてみる必要がある。なにせ、プロになったと同時にパフォーマンスが下降線をたどっていく傾向が見られるからだ。その要因こそは、同じく、リデキーを容赦なく襲い、自信をぐらつかせ、精神面を不安定にさせるであろう。もちろん、過去の歴史も紐解きつつ、どのようにすれば同じ失敗を避けられるかを考慮していると思われる。

 リデキーについて言えば、男子選手に比べて競技寿命が比較的短い女子において、東京五輪まであと2年というのが「いまが売り時」というビジネス面からのアプローチもあるであろう。

 長く米国の競泳界を見てきて思うのは、表面上、若くしてプロ選手になると突如、大金を手にし、同時に全く異なる方向からプレッシャーがかかって、そのことに対処できない、という仮説がある。しかし、これは最初からわかっていることであり、あくまで表面上の理由にすぎないように思える。品行方正で、「依然として」世界で圧倒的な力を見せているリデキーには、あらゆる方向からスポンサーが殺到してもおかしくはない。現段階ではまだ代理人を選定していないようだが、十分に対応する策を考慮するだろう。

 選手はよく、「自分のために頑張ります」という。しかし、冷静に考えてみるとやはりまだ21歳の学生であり、過去の米国女子選手のプロ化の失敗の連続を見てみると、最大のチャレンジは、「もはや自分のために泳ぐことは難しくなる。またはできなくなる」自分にカネを出してくれるスポンサーのために泳ぐという、これまでには到底なかった米国型のビジネス優先の価値観が突如としてハタチ前後の学生に強烈に食い込んでくるのである。そしてそのことを本人が十分に理解していないことなのである。「自分は何のために泳いでいるのか」がブレてくる。プロ化が進む米国でさえも、周囲が十分に選手にブリーフィングできていないように思える。大学水泳とNCAAというアマチュアスポーツの枠のなかで物事が展開しているため、十分な対応が取れないのも理由の一端になっている。

 中長距離選手として、日々10km以上の泳ぎ込みが欠かせないリデキーの最大のチャレンジは、「プロ選手になって何を達成したいのか」。それはアマチュア選手ではできないのか。これを自分の胸の奥底で突き詰めることから始まるように思う。

文◎望月秀記

This article is a sponsored article by
''.