果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

※初優勝を果たした昭和56年秋場所の琴風
写真:BBM/VANVAN相撲界 平成4年6月号

二人の師匠の間で、揺れる少年の心

 本当にもうだめなのだろうか。上目づかいにそっと横綱の顔をうかがってみた。そういえば、顔色もなんとなく冴えず、そんな気がしないでもない。

 すると、また、

「お前は、かわいそうなヤツだなあ。今場所限りで横綱は引退し、独立するぞ。もう師匠に申し出た。オレは二人のやり取りを聞いていたんだから、間違いない。でも、師匠は引退に大反対で、どうしても引退するんだったらお前は絶対渡さん、と息巻いていた。なにしろ、師匠と横綱の仲の悪さはどうしようもないからな。お前は、ずっとここにいなくちゃいけないんだ」

 とさっき、ニヤニヤしながら教えてくれた兄弟子の言葉がヤケに信憑性たっぷりに耳元によみがえってきた。

 そんな、馬鹿な。今でも琴風の脳裏には、あの新大橋のたもとの公園で、横綱(当時大関)に、

「そうじゃない。よく見ていろ。ほら、こうやってやるんだ」

 と四股や、てっぽうのやり方を手取り足取り、教わった後、二人でながめた匂い立つような初夏の夜空の星のきらめきがクッキリと刻み込まれていた。

 昭和46年(1971)の4月のことで、

「誰がなんと言おうと、オレは、琴櫻の一番弟子だ。いつかオレも、この師匠みたいな立派な力士になってやるぞ」

 と、琴風はしっとりと甘い夜風を胸いっぱいに吸い込み、ようやく自分も本物の力士になったような気がした。

 当時、琴風は、まだ現役のバリバリだった琴櫻(平成4年当時、佐渡ケ嶽親方)の〝隠れ弟子〞として、新婚間もない琴櫻宅に寄宿し、毎日、新妻の章予夫人のお手製の弁当を持って意気揚々と近くの中学に通っていた。

 しかし、間もなく、そんな生活も大師匠の佐渡ケ嶽親方(先代、元小結琴錦)にバレてしまい、

「独立するときは、必ず引き渡す」

 という先代と琴櫻の男の約束の下に琴風は昭和46年(1971)の名古屋場所、先代の弟子として初土俵を踏んだのだった。

 それからおよそ3年。いよいよ琴櫻は力士の終点近くにさしかかっていた。すでに年寄名跡「白玉」も入手し、いつ独立してもいいような態勢が出来上がっている。

 ところが、肝心な琴風の去就がどうもすっきりしないのだ。というのも、中学を卒業するときの琴風は早くも序二段の頭どころで、この琴櫻の引退ムードが漂いはじめたころはもう幕下目前。そのキラキラ輝く逸材ぶりに、

「コイツをここまで育てたのは、このオレだ」

 と先代が入門時の約束をホゴにし、いっこうに手放す気配を見せないのである。

 冗談じゃない。このまま残留していたら、兄弟子たちにイジメ抜かれるに決まっている。もし、横綱についていけないのだったら、オレがマゲを切ってやめる以外にないな。

 琴風はひそかに心に決めていた。しかし、せっかくトントン拍子にここまで来たのに、途中で投げ出すのはなんとも心残りだった。17歳になったばかりの少年の心は、初めて味わう大人の世界の不条理さに大きく揺さぶられ、苦しんでいた。

 土俵は力士の心を映す鏡だ。こんな悩める琴風がそれまでと同じように土俵に上がれるわけがなかった。

画像: 昭和46年名古屋場所、中学在学中に初土俵を踏んだ琴風(前から3人目)

昭和46年名古屋場所、中学在学中に初土俵を踏んだ琴風(前から3人目)

やけぱっちからの快進撃

 昭和49年の夏場所、琴櫻がいよいよ大詰め近しを思わせるように初日から3連敗し、4日目から休場すると、琴風も急に元気を失い、初めての幕下にもかかわらず、負け越し。そして、次の名古屋場所の直前、やっと琴櫻が先代を説き伏せて引退を発表すると、不安の固まりの琴風は、転落した三段目でまた負け越した。

 いいや、どうせ、やめるんだから。琴風は半ばやけっぱちだった。ところが、この直後、事態は劇的に変化する。

 琴櫻が引退し、白玉を襲名してわずか10日後の7月14日、突如、先代が心筋梗塞で亡くなり、新しい佐渡ケ嶽を、いったん白玉となった琴櫻が名乗ることになったのだ。

 琴風から見ると、先代が亡くなって、その代わりに自分が一番頼りにしている心の師匠が新師匠になったことになる。

 これで、やめることはない。

 思いもしなかった事態の出現に右往左往する兄弟子たちを尻目に、琴風は土俵に対する熱い思いが改めて体中から込み上げてきた。

 また相撲が取れる。もう二度とやめようとは思わないぞ。

 新体制になった秋場所、息を引き返した琴風の快進撃が始まった。なんと三段目の18枚目からスタートして、十両の西の2枚目まで10場所連続勝ち越しを続け、その7場所目に難関の十両入りもあっさり決めたのだ。

 やめる気になったら、なんでもできる。琴風は大人の仲間入りをする3年も前に、土俵に生きる者の〝悟り〞を会得したのだった。(続く)

PROFILE
琴風豪規◎本名・中山浩一。昭和32年(1957)4月26日生まれ。三重県津市出身。佐渡ケ嶽部屋。184㎝173㎏。昭和46年名古屋場所初土俵、50年九州場所新十両、52年初場所新入幕。54年初場所で左ヒザ靭帯を断裂、幕下まで番付を下げるが不屈の努力で幕内復帰。56年秋場所、初優勝を遂げ、場所後に大関昇進。幕内通算49場所、395勝249敗80休。優勝2回、殊勲賞3回、敢闘賞2回、技能賞1回。60九州場所限りで引退。62年3月に分家独立し、尾車部屋を創設、関脇豪風、嘉風らを育てる。

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